<フィクション>『幻の柳橋』【2章】戦前。柳橋芸者の髪を結う日々。②

芸者影20 2【2】―②

お鯉は、柳橋を渡った両国広小路側の米沢町という江戸時代からの芸者町に住んでおり、いつも朝六時ころ髪を結いにやってきた。士族の出で姿かたちも気風も良く、品のある顔立ちで、二十代ながらいっぱしの芸者の貫禄を持ち合わせていた。

真冬の早朝はまだ暗く、寒さに手先も思うように動かない。鏡の前に座ったお鯉は、ぎこちない手つきで髪をほどく千代子に、「おじょうちゃん、手が冷たいだろ、禿で温めな」と言う。千代子は「はい」と小さな声で返事をし、かじかむ手をお鯉の後頭部の10年玉大の禿に当ててその体温をしばらくの間、奪い取らせてもらうのだった。「温まったかい? それじゃあ頼むよ」の言葉を合図に、千代子は髪を梳き始めた。

お鯉は、自害という壮絶な死に方で千代子の心に強く印象づけられた芸者でもある。30代半ばで喉頭結核を患い、最後は口がきけなくなり入院をしたのだが、いよいよ死期が近いことを悟ったのだろうか、見舞いに来ていた旦那と女中に筆談で「少しの間だけ表に出ていてください」と伝え、二人を廊下に出すと、枕の下に隠してあった短刀で喉を一突きしたのである。同じく枕の下には36通の遺書が置かれていた。「葬式費用だけを残して、財産はすべて寄付します」と、陸軍、海軍、お囃子の会、踊りの会、それぞれの寄付先へしたためた遺書であった。その中の1通には、「お通夜のときは、喜鮨のたけちゃんに飯台を持ち込んでいただき、お鮨を握っていただき、みなさまに食べさせてあげてください」とあり、その通りの通夜が行われた。潔い死にざまに、子供ながら千代子は立派なものだと感じ入った。

芸者の正式な髪型は島田である。

戦前の女の子たちは14,5歳でこの世界に入るとまずお酌(半玉)という子供の芸者になり、髪は唐人髷。17,8歳で一本と呼ばれる一人前の芸者になると高島田。24,5歳で中高、30を過ぎると芸子島田、そしてつぶし島田と、年齢に応じて型を変える。夏は銀杏返しと呼ばれる簡単な結い方もあったが、亀清楼や柳光亭など柳橋の中でも超一流といわれる料亭は、真夏でも正式な島田でなければ出入りを許さなかった。つい先ほど銀杏返しに結ったばかりの芸者が、「今日のお出先は島田じゃなければだめなのよ」と慌てて結い直しに来ることも珍しくなかった。

(続く)

©asahara sumi 無断転載禁止