<金沢>やっぱり金沢とは縁がある。浅の川園遊会館を訪れて

●縁のはじまりは「ケンロクエンノサクラサク」

花柳界を取材しはじめて28年。今までに全国各地、50ほどの花街を訪れてきたが、1度だけの縁だったところもあれば、数えきれないほど足を運んだ花街もある。東京以外でいえば、後者の代表が新潟と、金沢だ。

私事で余談だが、私の兄が縁もゆかりもなく居住地から遠く離れたこの土地の国立大学に入ったことが、私の金沢との縁のはじまりだった。当時(昭和40年代後半)、大学の合格発表は掲示板に受験番号が張り出される形式で、見に行けない人は合否を電報で知らせてもらう合格電報を試験後に申し込むのが通例だった。

3月半ば、兄に届いた電報には「ケンロクエンノサクラサク オメデトウカナザワ」。なかなか趣のある印象的な文章で、今でもよく覚えている。そのころ金沢大学は金沢城の中にあり、高校生だった私も一度、兄の寮に遊びに行ったことがあった。

まさかその後、自分が芸者さんの取材で金沢を何度も訪れることになるとは夢にも思わなかったが…。

●そして、金沢の茶屋街へ…。往復10時間の旅

金沢の茶屋街を初めて取材で訪れたのは1997(平成9)年4月。月刊誌『サライ』(小学館)で紹介した全国19か所の中の一つだった。(後に『夫婦で行く花街 花柳界入門』として単行本化)。「浅の川園遊会」の開催時期に合わせて会の様子も撮影し、東茶屋街のお茶屋「中むら」で五月姐さんを取材した。私にとって2度目の金沢は図らずも「サクラサク」時期だった。

「サライ」の記事。1997年12月4日号

古い手帳をひっくり返してみたら、2004年9月に「金沢園遊会 金沢おどり」に行っている。その後、少しブランクはあったと思うが、少なくとも2011年(平成23年第10回)からのプログラムがほぼ家にあるので、「金沢おどり」には毎年訪れている(2012年には公演後に北國新聞の取材を受けた…)。

2009年、三菱財団の助成金を受けて(慶応義塾大学教授との共同研究)、「戦前の花柳界を知る現役芸妓」の話を聞き映像を残す研究にとりかかった。そのなかの一人が、笛の名手・金沢にし茶屋街「美音」の峯子さんだった。愛すべきキャラクターに魅せられ、私はその後も何度も美音に足を運び、昔話を聞かせていただいた。北陸新幹線開通の前のこと。東京から上越新幹線で越後湯沢へ、そこから「特急はくたか」で金沢へ。ドアツードアで片道約5時間の日帰りの旅。行きの車窓からは緊張しながら日本海を眺めた。真っ暗になった帰りの車窓には濃密な時間を経た後の興奮漂う顔が映っていた。

●「浅の川園遊会館」に期待

2022年、金沢とやっぱり縁がある!と実感する出来事があった。

9月「金沢おどり」開演前の空き時間に、私は友人とひがし茶屋街に足を運び、5月にオープンした「浅の川園遊会館」に立ち寄った。前日に「新潟をどり」を観賞していた私たちは、花柳界仲間の新潟大学の先生たちから「ひがし茶屋街に新しく会館がオープンしたからぜひ寄ってみるといいよ」と言われていたのだ。

金沢町屋をリノベーションした浅の川園遊会館(2022年9月)

そのとき、上原純一館長がお忙しい合間に、私たちに館内を丁寧に案内してくれたのである。1階の展示物、2階のジオラマ。そして立派なお座敷舞台つきのお座敷。これからこの施設を利用して「お座敷体験イベント」を展開していく予定で、内容を企画・検討中とのことだった。そんなこんなで話ははずみ、私も「実は……」とこれまでの金沢花柳界とのご縁を話した。

「お座敷体験イベント」のモニターのご案内が届いたのは、それから間もなくだった。やっぱり、私は金沢と縁がある…。二つ返事でお引き受けし、11月にふたたび金沢へ足を運んだ。

「浅の川園遊会館」が、芸どころ金沢の誇る芸妓のおもてなしと芸能の文化を発信する拠点となることを願う。観光客だけでなく地元の人々地元をより深く地元を理解するための場としても大いに活用できる施設だと思う。

展示物やジオラマで金沢の茶屋街を説明

「お座敷体験」が始まったら、ぜひ参加したい。

「浅の川園遊会館」https://kanazawa-asanogawaenyukai.com/