【1】―③
3時、最初の一発が上がると、河岸の桟敷、川面の舟、料亭の座敷、川沿いのビルのベランダや屋上、橋の上とあらゆる場所から嬌声が上がる。芸者たちは舟から舟、桟敷から桟敷へと忙しくお酌をしながら回る。客に連れてこられたよそ土地の姐さん方もたくさん混じっている。よく見れば、柳橋芸者とは着物の色柄や帯の結び方が微妙に違う。
暗くなるにつれ、花火も鮮やかさを増し、7時半、呼び物の仕掛け花火が始まると歓声もクライマックスだ。名城シリーズだった去年の仕掛け花火は熊本城、名古屋城、大阪城が色とりどりの楼閣となって浮かび上がった。一昨年は皇太子ご成婚を祝う連獅子と東京タワー、オリンピック開催が決定した年には五輪の花火が人々の瞼に焼きついた。
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【1】―②
昭和12年を最後に戦争で中断していた両国川開きの花火大会は、23年、11年ぶりに復活した。それは柳橋花柳界の、戦後最盛期の幕開けでもあった。戦争をはさんでの5,6年は花柳界もなりを潜めていた時代である。戦時色が濃くなるにつれ料亭の営業時間も徐々に短縮され、派手な宴会は自粛。芸者の着物も地味になり、ついに昭和19年3月、警視庁は酒屋やバーなどと共に全国の料亭、待合、芸者屋を閉鎖。日本中の花柳界の灯が消えた。
終戦直後の20年10月に料亭や芸者屋の営業が再び許可されると、疎開していた芸者たちも戻りはじめ、花柳界は急激に賑わいを取り戻す。新橋の東をどりが23年に再開、赤坂をどりが24年に開始したのは、花柳界復活を世の中にアピールする十分な効果があったが、それと前後しての花火の開催だった。
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【1】―①
「そうだ、千代ちゃん、今朝の新聞見たかい?」
週刊誌をめくっていた柳橋芸者の吉矢(きちや)が、何を思い出したのか面長の顔をつと上げ、髪を結う千代子の顔を目の前の大きな鏡ごしに見た。眉間の皺が心なしか深くなっている。
「いえ、今朝はなんだかばたばたしていて読んでおりませんの。何か書いてありました?」
「今年は中止だってさ」
「は?」
「花火だよ、川開きの花火。今年は中止だって書いてあったわよ。交通事情のためだとかって。なんだか寂しいわねえ」
忙しく動き続けていた櫛を持つ千代子の手が、初めて宙で止まった。
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120畳の大広間に映える、山形芸妓とやまがた舞子
「のゝ村」広間にて(1996年11月取材。『夫婦で行く花街 花柳界入門』より。撮影・中川カンゴロー)
●1996年(平成8年)、念願の「山形舞子」が誕生した
*1998年(平成10年)発行 拙著『夫婦で行く花街 花柳界入門』(小学館)より抜粋(下線部)
山形市内の花街・七日町は、最近、急に活気づいてきた。
料亭のご主人や財界が中心になって10年間準備を進めてきた「山形舞子」が平成8年6月に誕生したのだ。
6人の「舞子さん」が無事お披露目を果たすことができたのは、小蝶(こちょう)姐さんの指導によるところが大きい。
「私たちが先輩から教わってきた芸の中には『紅花摘み唄』のように山形独特のものもあるんです。そういう伝統的な踊りを舞子さんたちに引き継いでもらいたくて、一生懸命教えました。座り方も知らなかった子が3か月で踊れるようになったんですから、みんな頑張ったんですよ」
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何はさておき、きれいな靴と靴下を。
「あなたが持っているいちばんいい靴と、新しい靴下を履いて来なさい。もしなければ買いなさい」――。花柳界に40余年通い続けているある旦那衆は、お座敷遊びの初心者に心得を尋ねられると、まずこう答えるのだそうです。
料亭に行くとき、最も気を遣わなければならないのは足もと。なぜなら、言うまでもなく、料亭のお座敷は「靴を脱いで上がる世界」だからです。
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目安は〝ふだん着より少し上〟で、小ぎれいな服
料亭でのお座敷遊びに何を着て行ったらいいのか迷う人も少なくないようです。あくまでも「遊び」――料理とお酒をいただきながら、芸者衆の踊りを見たり、会話を楽しんだり、ゲームで遊んだりする場なので、堅苦しい服装や、かしこまった格好をする必要は全くありません。
とはいえ、あまりにくだけすぎた格好では浮いた存在になってしまう危険も――。料亭のお座敷は、隅々まで掃除が行き届き、季節の花が活けられ、貴重な掛け軸や絵や書が飾られた心地よい状態で、お客さんを待っています。そこに足を踏み入れ、身を置くにふさわしい、ある程度きちんとした小ぎれいな服装が望ましいと思います。
居酒屋に行くのとは違う、多少の緊張感をもって〝ふだん着よりも少し上〟の感覚で着ていくものを選ぶと、自分自身も周囲も違和感なく、心置きなく楽しめるのではないでしょうか。
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昔も今も、坂と路地と石畳に芸者衆が映える町
●地形と住人に恵まれ、天災を免れた幸運な花街
*2007年 執筆 拙著 『東京六花街 芸者さんに教わる和のこころ』 (ダイヤモンド・ビッグ社 )より抜粋(下線部)
昭和初期、「花街の中に山あり谷あり」「あたかも玩具箱(おもちゃばこ)をひっくりかえしたような感じ」(『全国花街めぐり』昭和4年発行。松川二郎著)と描写された神楽坂花柳界(別称・牛込花柳界)。その隠れ家的な雰囲気は、花街として大きな魅力だった。
戦災で町が焼け、開発でビルが建っても、地形は残る。だから今も神楽坂は、花街らしい風情を残し、坂と路地と石畳に芸者が映える町だ。
続きを読む <東京・神楽坂>明治時代の〝山手銀座〟。今は「神楽坂をどり」で窓を開く →
花柳界の辞書に、「おばさん」と「おばあさん」は無い!
芸者衆の名前(芸名)がわからないときや、会話の中でさらりと呼びたいときは、迷わず「お姐さん」(おねえさん)。たとえ自分の母親や祖母と同年代か、明らかに年上に見えても、決して「おばさん」「おばあさん」と呼んではいけません。
これは全国すべての花柳界に共通の約束事。芸者衆は日々芸事に精進し、お座敷では芸や会話や気遣いでお客さんを楽しませる〝もてなしのプロ〟として、現役である限り、「老けない。年はとらない」という気概をもって仕事をしています。花柳界の中で「おばさん」「おばあさん」がタブーなのは、芸者衆の心意気の表れだといえるでしょう。
また、「お母さん」もNG。花柳界で「お母さん」といえば、芸者衆が置屋の主人を指して呼ぶ言い方と決まっています。お客さんが芸者衆に対して使う言葉ではありません。
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八王子ならではの〝花柳界物語〟、今秋放映予定。
●「八王子まつり」での舞台・「宵宮の舞」がクライマックス?
ここ15年ほどの間に、若い芸者衆が増え、途絶えていた花街の行事も復活し、若手が新たな置屋を開業するなど右肩上がりで勢いを増している八王子花柳界。昨年3月には念願だった第一回「八王子をどり」の開催も実現しました。
東京の多摩地区で唯一残るこの花街は最近、新聞・雑誌はもとより、八王子を紹介するテレビ番組では必ずといっていいほど取り上げられ、全国的な知名度も少しずつ上がってきています。
2015年4月13日にはNHKBSプレミアム「TOKYOディープ!」で八王子芸者衆の日常と仕事が紹介されましたが、この度、八王子花柳界を舞台としたドラマ「東京ウエストサイド物語」の制作が決定。先日、キャストが発表され、歌手で八王子観光大使でもある北島三郎さんの出演も話題になっています。
今週から置屋「ゆき乃恵」での撮影が開始。放映は今秋予定とのこと。
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