<フィクション>『幻の柳橋』【1章】昭和37年夏。花火が、なくなる。①

 

【1】―①

「そうだ、千代ちゃん、今朝の新聞見たかい?」

週刊誌をめくっていた柳橋芸者の吉矢(きちや)が、何を思い出したのか面長の顔をつと上げ、髪を結う千代子の顔を目の前の大きな鏡ごしに見た。眉間の皺が心なしか深くなっている。

「いえ、今朝はなんだかばたばたしていて読んでおりませんの。何か書いてありました?」

「今年は中止だってさ」

「は?」

「花火だよ、川開きの花火。今年は中止だって書いてあったわよ。交通事情のためだとかって。なんだか寂しいわねえ」

忙しく動き続けていた櫛を持つ千代子の手が、初めて宙で止まった。

「……そうですか……。もしかしたらって噂は聞いてましたけど、とうとう決まったんですか」

「そうらしいわよ。そりゃあ、毎年花火の日は昼間っから交通規制だの警備だのって大騒ぎでさ、あたしなんかもあっちの舟だこっちの桟敷だって呼ばれて忙しいのなんのって、着物は汚れるし汗はかくしでうんざりすることもあるけどさ、パンと一発上がるたびに、そんなの帳消しだわね。何しろ百万の人出だって言うだろ? 新橋とか赤坂とか、よそ土地からも芸者衆がたくさん来るってのも、なんだか誇らしいわよねえ。何よりあたしらにとっちゃ、いちばんの稼ぎどきだしね。本当に寂しいわねえ」

「でもそのうちにまたやるんでしょう? もうこれっきりということはないんじゃ……」

自信のなさが語尾に隠せない。かぶさるように吉矢がたたみかける。

「そりゃあ、新聞には〝今年は中止だけど必ず折を見て再開するつもりだ〟とかって書いてあったけどさ、だいたい〝つもり〟なんてのはね、自信がないときに使う言葉に決まってるんだよ。明日も来るつもりだ、着物を買ってあげるつもりだって言ったお客が本当にそうしたためしはないんだから」

昭和37年――。東京オリンピックを2年後に控えたこの年、東京都内の花柳界はまだ30か所近くを数え上げることができた。赤坂、新橋、牛込、葭町、柳橋、下谷、駒込、芝浦、新川、根岸、神田、新宿、新富町、浅草、五反田、深川、四谷、新橋南地、目黒、城東、渋谷、大塚、芝神明、白山、品川、湯島天神、向島、吉原、九段――。しかし、すでに戦後の最盛期は明らかに過ぎていた。

昭和33年の売春防止法施行により吉原遊郭340年の火が消えたことは、その後じわじわと進みはじめる花柳界衰退の小さな兆しだったといえるかもしれない。廓がさびれれば芸者もさびれる。芸者のルーツとされる吉原芸者はそれを機に一気に下降線をたどる。2年前、江戸時代からの由緒ある日本橋花柳界が解散したことに人々が衝撃を受けながらもさほど驚きはしなかったのは、心のどこかに「やはり」と思う気持ちがあったからかもではないだろうか。

そんな中、柳橋花柳界は歴史と格式を誇る花街として威厳を保ち続けていた。40軒余りの料亭、100軒近い芸者屋、約300人の芸者から成る、三味線の音色が昼間から流れる町、垢抜けた小ぎれいな芸者町らしい芸者町であり続けていた。

千代子が経営する藤井美容室は、柳橋花柳界のど真ん中の髪結い所である。客層は玄人7割に素人3割といったところか。芸者という者たちは元来、口が堅い。たとえ通い慣れた髪結い所であっても、他の客、とくに〝素人(しろと)さん〟のいる場で無駄な口をきくことは決してない。彼女らは、同じように口が堅く、気を許せる千代子とふたりきりになったときだけ、饒舌になるのだった。

(続く)

*『幻の柳橋』について……2003年、戦前からの柳橋花柳界(1999年に解散)に詳しい人物を探し歩いていた私(浅原須美)は、立ち寄った甘味屋「にんきや」さんの紹介で、荒井美容室の荒井良子さんと知り合いました。大正7年生まれの当時85歳。昭和8年から芸者衆の髪を結っていたという荒井さんは柳橋花柳界の生き字引のような存在で、素晴らしい記憶力の持ち主でした。『幻の柳橋』は、2003年7月から8月にかけてのべ5回に渡り、荒井さんに詳しく聞かせていただいた話を元に、2004年9月に書き起こした未発表のフィクションです。残念ながら荒井さんは2003年11月5日に亡くなられ、この拙文を読んでいただくことは叶いませんでした。あらためて荒井良子さんに感謝を申し上げ、心よりご冥福をお祈りいたします。

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