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<東京・新橋>第96回「映像の東をどり」開催

●「新橋のまちを〝東をどり元気にする」

昨年の東をどりはコロナ禍で中止。今年5月の開催もかなわなくなったとき、東京新橋組合の岡副真吾頭取は「中止」ではなく「延期」と発表した。
 コロナはまちから仕事を消したけれど、新橋にはまちを元気にするものがある。「東をどり」だ――。
 そんな思いで出来上がった初めての挑戦「映像の東をどり」。

芸術的な映画を見ているようだった。

 実際の視点と異なるカメラワークのせいだろうか、屏風、軸、襖絵、双幅、生花といった室礼が花柳界のお座敷の重要な要素であることをあらためて強く感じた。
 …と思って再度プログラムを見ると、曲名の下に「立方」「地方」と同等の扱いで「室礼」が記されているではないか。
 まさに映像の東をどりは、料亭とお座敷と庭と室礼と、新ばし芸者衆の競演だった。
それにしても、光琳の屏風にも大観の襖絵にも負けない堂々たる新ばし芸者の存在感――。
この世界と少しでも関わってきてよかったと心から思えた。

もう一度、いや何度も、大きなスクリーンで見たい。

*映像オンライン配信および、Blue-Ray発売に関しては、東をどり公式ホームページにて案内予定。
https://azuma-odori.net/

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<東京・新橋> 金龍山浅草寺本堂 大提灯「志ん橋」を奉納

●16年ぶり9回目

令和2年4月、東京新橋組合が金龍山浅草寺本堂大提灯「志ん橋」を奉納します。昭和33年から続けており、今年の奉納は16年ぶり9回目とのこと。

東をどりや神楽坂をどりの中止、八王子をどりの延期や三社祭の半年延期など寂しいニュースばかりが届いていた中、久しぶりに明るい話題でした。

以下、東京新橋組合広報事務局より届いたお知らせをそのまま添付します。


幕末に興り、近代化の明治に発展した新橋花柳界。
それを支える東銀座から築地一帯の料亭、茶屋、芸者置屋で構成されているのが
東京新橋組合(東京都中央区銀座)です。
昭和20年3月10日未明の東京大空襲で消失した本堂が、
無事に落成を見た昭和33年(1958年)から、東京新橋組合は、
本堂正面の大提灯を「志ん橋」と揮毫し、これまで8回奉納を続けています。
前回平成16年から16年振りとなる本年、改めて芸の一流を目指し街の繁栄を祈願し、
更に現況の事態終息を願い、大提灯を9回目として奉納いたします
懸吊は4月18日(土)の予定です。

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日頃よりの東京新橋組合、芸者衆と料亭に賜りますお力添えに感謝申し上げます。
コロナ問題の発生以来日々変化する情勢を案じ、
本年5月開催の第96回東をどりも取り止めました。

この度、16年振りに大提灯「志ん橋」を奉納させていただくにあたり、
初回より変わらぬ芸の一流を目指し街の繁栄を祈願することに加え
今は事態の一日も早い終息と皆様方のご健勝を合わせて祈念し、奉納いたします。

東京新橋組合 頭取 岡副真吾
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写真出典:浅草寺公式HP

□概要
本堂大提灯「志ん橋」に、東京新橋組合の料亭8軒、茶屋3軒、芸者46名の名も記し、
9回目の奉納を行います。
これまでの8回の奉納/昭和33年、39年、44年、50年、55年、58年、
平成6年、16年

□金龍山浅草寺本堂大提灯について
浅草寺には、4張の大提灯が掛かっていますが、
一番大きなのが 本堂の「志ん橋」大提灯です。

高さ4.5m、幅3.5m、重さ約600kg。
昭和33年から平成6年の奉納7回までは、右上に“志”を置き “ん”で丸めて髭を伸ばし
“橋”を左に配置する「飾文字」でしたが、
前回の平成16年より、浮世絵師・歌川広重「浮絵浅草寺雷門之図」に描かれている
江戸の昔の文字に立ち返り、江戸文字書家、橘右之吉氏が揮毫した江戸文字
「志ん橋」に替わり、この度も橘右之吉氏の文字を継承しています。
大提灯は、これまで同様、亨保15年(1730年)創業の
京都の高橋堤燈株式会社に依頼し、鳥取県の伝統工芸品である因州和紙を使用し、
色鮮やかに改修していただきました。

<東京・新橋> 入門編でも芸は本物「なでしこの踊り」

● 新橋花柳界への、はじめの一歩

2014年に始まり、春夏2回、新橋若手芸者衆の踊りとお座敷遊びを楽しむイベントとして定着した「演舞場発文化を遊ぶ なでしこの踊り」。2019年夏の回で通算11回目を迎えた。

「なでしこの踊り」は、新橋花柳界へのはじめの一歩として最適な機会だ。

誰でも、電話やインターネットで申し込むことができ、特性会席弁当と芸者衆の踊り、お座敷遊び、歓談を含む約2時間をS席12000円、A席10000円で楽しむことができる。写真も動画もOK。約120の席はほぼ毎回満席の人気だ。

*次回「なでしこの踊り2020早春」は、2月27.28.29日、3月1.2日開催。詳細はこちら

特性会席弁当 デザートもつく

登場するのは、これからの新橋花街を担う若手を中心とする4人の芸者衆。最近は芸歴50年、60年を超えるベテランの芸者衆も加わり、新橋芸者の風格と芸にとりくむ姿勢が長い歴史の中で連綿とつながってきたことを感じさせる。

●わかりやすい演目の解説

芸者衆の紹介のあと、芸者衆の役割によって異なる着物や帯、鬘などの違いや、これから踊る演目についてわかりやすく説明をしてくれる。

この解説、日本舞踊や邦楽に興味を持てるように実にわかりやすく工夫されている。聞いているうちに、踊りへの期待が否が応でも高まるのだ。

たとえば、端唄「ステテコ節」は現在でいえばラップだ、との解釈で端唄がグンと身近に感じられる。小唄「さつまさ」はきりっと仇っぽく踊り、同じ小唄でも「からかさ」は愛嬌たっぷりに可愛らしく色っぽく踊る、といった違いを教えられたうえで見ると、「なるほど、たしかに……」と納得できる。日本舞踊や邦楽には難しい印象があるだけに、少しでも理解できただけで得をしたような気になる。

端唄「ステテコ節」を踊る(左から)小花さん、小福さん、小優さん

●22年前の紅緑会の音源で「夕月」を踊る

今回はベテランのあやさんも参加。プログラムのご挨拶には「古株なれど心は若く……」とあり、ユーモアあふれる自己紹介に、親しみを感じてしまう。

あやさんが踊った演目は常磐津「夕月」。「江戸時代、大阪と京都・伏見を結ぶ淀川で、水上交通の要として発展した早舟の船頭を主題とした舞踊です。今では江戸前の風情に移し替え、男方の姿ですっきりと踊ります」(プログラムより)。

常磐津「夕月」を踊るあやさん

そして、三味線や唄の音源はなんと22年前、平成9年の紅緑会*のときの演奏を録音したものだという。たまたま私はこのときの紅緑会を見に行っていた。プログラムを確認すると、確かに東京新橋組合「夕月」の演目があり、立方(踊り手)は、若竜さんとあやさん!だった。しかもこの年の文部大臣奨励賞・邦楽の部を受賞していたのである。その栄えある演奏が22年後に「なでしこの踊り」で復活したのだった。

「なでしこの踊り」は、〝本物〟の芸にわかりやすく触れることのできる貴重な機会だった。

第18回「紅緑会」(平成9年)プログラムより。東京新橋組合の芸者衆

 

第18回「紅緑会」プログラムより
第20回「紅緑会」プログラムより。文部大臣奨励賞邦楽の部を東京新橋組合常磐津「夕月」が受賞

 

*全国花街芸妓合同公演「紅緑会」(こうろくかい)。社団法人日本料理文化振興協会主催。昭和55年(1980 )から平成12年(2000)まで明治座、新橋演舞場、国立劇場などを会場に(昭和59年第5回からは国立劇場)開催された。全国からよりすぐりの12~14花街(平成11年は10花街。平成12年は不詳)が参加し、文部大臣奨励賞ほか表彰も行われた。「紅緑会に出る」ことは芸のレベルを認められた証であり、全国の花街の目標だった。開催されなくなって20年になるが、今でも「◯年の紅緑会に出た」ことを誇りとして語り継ぐ花街は少なくない。

©sumiasahara 文章および写真転載の場合は出典明記のこと。

<東京・新橋>『別冊太陽』に「東をどり」の記事を書きました

「銀座と花街」のエッセイ「東をどりの立役者」

『別冊太陽』2019年5月22日発行 (平凡社)
『別冊太陽』98~99ぺ―ジ

戦後の「東をどり」の大スター、まり千代さんのことを中心に書きました。

*98ページ本文10行目 誤「大正四年」→正「大正一四年」

<東京・新橋> いよいよ第95回「東をどり」開幕。5月23日~26日。

第95回東をどり」は特別だ。なぜなら「第100回」へのカウントダウンのはじまりだからである。

大正14年、新橋演舞場のこけら落としに始まり、戦時中、オイルショック、演舞場の改築中などやむを得ない事情の年を除いて毎年回を重ねてきた新橋花柳界の舞踊公演「東をどり」。令和元年に第95回を迎え、5月23日~26日に開催される。

東京新橋組合・岡副真吾頭取曰く「ついに記念すべき第100回へのカウントダウンが始まった」。そこへ向けての5年間は毎年、内容に趣向を凝らし、第100回にあっと驚く大輪の花火を打ち上げるのだという。――岡副真吾氏は、有言実行の人である。

今年から毎年見続ければ、第100回を何倍にも楽しむことができる。今まで足を運んだことのない人は、今年こそが「東をどりデビュー」に最適な年だといえよう。

 

<東京・新橋> 新橋芸者と「狂言」。「なでしこの踊り 早春2019」より

●まさか「なでしこの踊り」で「狂言」が見られるとは!

さすが、全国の芸者衆から一目置かれる「芸の新橋」だ。「なでしこの踊り」で若手芸者衆の「狂言」が見られるとは思わなかった。 続きを読む <東京・新橋> 新橋芸者と「狂言」。「なでしこの踊り 早春2019」より

<東京・新橋>変わりゆく花柳界。「なでしこの踊り」➃。若手新橋芸者の挑戦

③より続く

●若手新橋芸者にとって「なでしこの踊り」は〝挑戦〟だった

「なでしこの踊り」終演後、千代加さん(15年目)とのりえさん(10年目)にお話を伺った。

千代加さん(右)と、のりえさん

新橋花柳界最大の年間行事は、5月末の4日間新橋演舞場で行われる「東(あずま)をどり」。大正14年からの歴史を持つ、東京を代表する花街舞踊だ。芸者が300人、400人といた昭和30~40年代には若手はなかなか役をもらえず、やっとついた役が花や木の枝や水の精など人間ではないことも当たり前だった。人数が減った今でも主役級のキャストは芸歴30年以上のベテランが務めることがほとんどだ。新橋花柳界の層は厚い。10年、15年ではまだまだ〝若手〟の部類なのである。

――〝次世代の東をどりのスターを育てよう〟との趣旨で始まった「なでしこの踊り」。一般のお客さんも新橋の芸者衆と触れ合える場として人気ですね。 続きを読む <東京・新橋>変わりゆく花柳界。「なでしこの踊り」➃。若手新橋芸者の挑戦

<東京・新橋>変わりゆく花柳界。「なでしこの踊り」③ 新橋花柳界への入口

②より続く

●新橋芸者が身近になった! 人気の「なでしこの踊り」「なでしこの踊り」は「東(あずま)をどりの次世代のスターを発掘すること」を目的に、平成26(2014)年から年に2回(新春と夏)開催されているイベントだ。新橋演舞場地下特設会場「東(あずま)」を料亭の大広間に見立て、100席ほどのテーブル席のお客さんを、若手の新橋芸者衆が簡単なトークと舞踊とゲーム、写真撮影、会話などで約2時間もてなしてくれる。食事つきでS席12,000円、A席10000円という金額で新橋芸者衆の芸と人柄に身近に接することが出来るのは画期的なこと。平成30年1月、八回目の開催にして初めて参加する機会を得た。

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<東京・新橋>変わりゆく花柳界。「なでしこの踊り」② 新橋「東をどり」改革とは

➀より続く

●戦後、国民的大行事となった新橋「東をどり」

〝芸の新橋〟として全国の花柳界から一目置かれる新橋花柳界。今までの取材の中でも東京各地の芸達者な年配の芸者衆が「〝新橋さんに追い付け追い越せ〟を合言葉にお稽古をがんばっている」という話をよく耳にした。その新橋芸者の芸を世間一般に披露する場が、年に一度の「東(あずま)をどり」(東京新橋組合主催の花街舞踊公演)だ。

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