「赤坂」カテゴリーアーカイブ

<東京・赤坂> 赤坂芸者・育子さんの「華」➂ 2007年のインタビューより

赤坂芸者・育子さんの「華」②より続く

お座敷をパッと明るく華やかに 赤坂芸者、咲き誇る(赤坂芸者・育子さんに聞く)➂

*「東京六花街 芸者さんに教わる和の心」浅原須美著 2007年ダイヤモンド社発行 より(抜粋。一部修正)
「東京六花街」38~39ページ(右上の写真は2017年に閉店した料亭「口悦」の前で)

●「芸者」は自分を高められる最高の職業

平成18(2006)年10月3日、赤坂をどり第47回公演が9年ぶりに紀尾井ホールで行われた。出し物は、常磐津「松島」、長唄「俄獅子」、フィナーレはおなじみ「艶姿花の賑い」。1,2部各250席の切符は即完売、見番(花柳界の連絡事務所)はひっきりなしに鳴る問合せ電話の対応に追われた。 続きを読む <東京・赤坂> 赤坂芸者・育子さんの「華」➂ 2007年のインタビューより

<東京・赤坂> 赤坂芸者・育子さんの「華」② 2007年のインタビューより

赤坂芸者・育子さんの「華」➀より続く

お座敷をパッと明るく華やかに 赤坂芸者、咲き誇る(赤坂芸者・育子さんに聞く)②

*「東京六花街 芸者さんに教わる和の心」浅原須美著 2007年ダイヤモンド社発行 より(抜粋。一部修正)
「東京六花街」38~39ページ(赤坂芸者の伝統芸。片肌脱ぎの「奴さんかっぽれ」)

●赤坂はおっちょこちょいの妹。花で言えば、牡丹

かつて、赤坂をどりは4月末から5月初めにかけて、新橋の「東をどり」は5月末(昭和54年以前は4月前半)。春には、東京を代表する二花街の舞踊公演が続けて開催されていた。お客さんも「赤坂が終わったら次は新橋」と両方に足を運ぶことが多かったなか、お互いを意識することはあったのだろうか。 続きを読む <東京・赤坂> 赤坂芸者・育子さんの「華」② 2007年のインタビューより

<東京・赤坂> 赤坂芸者・育子さんの「華」① 2007年のインタビューより

お座敷をパッと明るく華やかに 赤坂芸者、咲き誇る(赤坂芸者・育子さんに聞く)

*「東京六花街 芸者さんに教わる和の心」浅原須美著 2007年ダイヤモンド社発行 より(抜粋、一部修正)
『東京六花街』46~47ページ

景気よくパアーッと遊びたいお座敷に、育子さんは欠かせない。若い芸者衆を従えて、ソレソレッ!と場を盛り上げる座持ちの良さと、行動力とリーダーシップにかけては右に出る者はない。「過去は振り返らない。前に進むのみ」ときっぱり言い切るところが何とも頼もしい。……が、今日は少しだけ、昔の良き思い出も振り返っていただいた。 続きを読む <東京・赤坂> 赤坂芸者・育子さんの「華」① 2007年のインタビューより

<東京・赤坂>開花した桜の下で「赤坂をどり」華やかに

浅草芸者を遠出でお迎え。〝サカスお座敷〟大盛況。

2016赤坂をどりポスターと育子さんの写真
赤坂をどりポスターと育子さんの写真

●猩々に飛脚にお七、小唄に端唄――。今年も賑やかに

赤坂芸者と聞くといつも思い出すのが、「花で言うなら、新橋が菖蒲、柳橋が水仙で、赤坂は牡丹」――大正時代の赤坂芸者が残したこの言葉だ。拙著『東京六花街』の取材で新橋との違いを尋ねたとき、赤坂芸者の育子さん(現・赤坂芸妓組合長)が「着物の色目や柄、帯の結び方や着方が違うということがあります。地味派手で言ったら、新橋さんの方が地味で、赤坂のほうが派手。性格的に言えば、新橋さんは落ち着いた姉で、赤坂はおっちょこちょいな妹みたいな感じ」と笑ったのがとても印象的だった。たしかに、赤坂芸者衆の特徴は?と聞かれたら、〝牡丹のように華やか〟という形容が最もふさわしいような気がする。

一足先に満開になった、赤坂サカスの枝垂桜
サカスの枝垂桜は一足先に満開に

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