カテゴリー別アーカイブ: <メディア&記事>

<東京・日本橋> 「日本橋花柳界が華やいだころ」(『東京人』7月増刊)を執筆しました。

古き良き戦前の「日本橋花柳界」。貴重な証言を取材

『東京人』2016年7月増刊 八重洲・日本橋・京橋を楽しむ本 
『東京人』2016年7月増刊 八重洲・日本橋・京橋を楽しむ本

●東京駅八重洲口――かつての「檜物町」に花柳界があった

花柳章太郎の出世作となった新派の舞台『日本橋』(泉鏡花原作)でも有名な日本橋花柳界。江戸時代の文化文政期(1804~30)にはすでに栄えていたとされる、東京の中でも古い花街だ。

現在の住所でいえば、東京都中央区八重洲一丁目。東京駅八重洲中央口を出て立ち、左前方を見る。外堀通りを挟んで大丸百貨店の向かい側一帯が、その昔、日本橋花柳界のあった場所である。 続きを読む <東京・日本橋> 「日本橋花柳界が華やいだころ」(『東京人』7月増刊)を執筆しました。

<東京・吉原>月刊誌「東京人」2016・4月号 江戸吉原特集 に執筆しました

「最後の吉原芸者が語る 昭和初期の不夜城。故・四代目みな子」。10年前の取材裏話

「東京人」2016.4月号 江戸吉原特集
「東京人」2016.4月号 江戸吉原特集

●浅草「むつみ」で海老しんじょうをつまみに飲みながら

最後の吉原芸者 故・四代目みな子さんに初めて独自取材をしたのは、亡くなる5年前の2005年。みな子姐さんは85歳だった。お酒(日本酒)が大好きで、みな子さん行きつけの浅草観音裏の釜飯「むつみ」には2回ほどご一緒したと思う。当時の取材記録を辿ると、「釜飯、お通し(みな子姐さん用の特別のお通し)、海老しんじょうをいただきながら、お酒(菊正)二合徳利を4,5本空ける」とメモがあった。「むつみ」の海老しんじょうは、みな子さんおすすめの名物料理だったことを思い出した。

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<ENGLISH・GEISHA>Japan’s geisha, guardians of an ancient culture(source AFP)

●Japan’s geisha, guardians of an ancient culture (source AFP)

イメージ
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ENGLISH https://www.youtube.com/watch?v=VLood0Utfhs

FRENCH https://www.youtube.com/watch?v=b4suQVlZ5H

narration> Kyoto — the ancient imperial capital and the cradle of  Japanese tradition.   Central to that – the Geisha…famed around the world but little understood,even at home…

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<京都・宮川町><メディア&記事> AFP通信社・京都の芸妓さん紹介動画に出演しました

フランス人ジャーナリスト曰く、「芸者さんの姿を正しく世界に伝えたい」

AFP通信社ビデオジャーナリストのカンタンさん(本人の了解を得て掲載しています)
AFP通信社ビデオジャーナリストのカンタンさん(本人の了解を得て掲載しています)

●AFP通信社からビデオ映像が配信されました。

タイトルは Japan’s geisha, guardians of an ancient culture

英語版 https://www.youtube.com/watch?v=VLood0Utfhs

フランス語版 https://www.youtube.com/watch?v=b4suQVlZ5H8

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<東京・大井海岸> 唯一の女形芸者・栄太朗さんと、「芸者の個性」

母の遺志を継いで置屋「まつ乃家」の女将になった青年芸者とは

朝日新聞 2015.1.19 夕刊 栄太朗さん

(*朝日新聞 2015.1.19付 「孝行息子 お座敷に咲く」。掲載承諾書番号 A15-0375。無断転載禁止)

東京の花街といえば、東京六花街といわれる新橋・赤坂・芳町・神楽坂・浅草・向島のほか、大塚、八王子があり、大井海岸や円山町などにも芸者衆がいます。これらをすべて合わせた東京中の芸者衆の数はというと、私の調べでは270人前後といったところでしょうか。

東京全体で40~50か所の花街があり、多いところには一か所200人~600人の芸者がいた戦後の最盛期(昭和20、30年代)とは違い、今や「芸者」という職業そのものが珍しくなりました。若い妓には「どうして芸者さんになったの?」と聞かずにいられないのですが、まして栄太朗さんは男性。日本でただ一人の女形芸者です。

栄太朗さんがどのようないきさつで芸者になったのか。今、どのような思いでこの仕事と向き合っているのか。 その答えが、朝日新聞1月19日夕刊に「孝行息子 お座敷に咲く」のタイトルで掲載されました。

記事を読んで、芸者の個性について考えました。

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<東京・新橋> 月刊『東京人』に執筆。若手芸者にエールを送る。

「東京人」2015年6月号(都市出版)「競え、舞え!新橋花柳界の若娘たち」 の記事を書きました。

東京人表紙全国の花柳界が一目置く「芸の新橋」。明治維新後、新政府の要人を大歓迎したことから赤坂と共に発展した、日本を代表する格式の高い花柳界です。「芸どころ」としての地位を確固たるものにした発端は大正時代。組合幹部が一念発起し、各流派の家元を専属の師匠に迎えたことでした。以来、各界のトップクラスが接待や遊び場・社交場として贔屓にし、街全体が一丸となって一流の芸者衆を育ててきました。

記事で焦点を当てたのは、「どうしても新橋芸者になりたい」との夢を実現させた二人の若手芸者・小花さんとちよ美さん。新橋花柳界の何が20代の若者たちを惹きつけるのか、彼女たちはこれからどのようにして押しも押されもせぬ「新橋芸者」に育っていくのか。

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<石川・金沢> 北陸新幹線開業と金沢茶屋街と、峯子さん

東京から〝わざわざ〟訪れたい金沢茶屋街の魅力。(北國新聞 1月23・24日)

金沢をどり提灯

北陸新幹線開業(3月14日)に向けての「北國新聞」連載記事、「新幹線は文化を運ぶ」に、茶屋街(花街)が二日に渡り取り上げられ、記者さんの取材を受けました。

金沢には、それぞれ少しずつ雰囲気の違う三つの茶屋街――ひがし、にし、主計町(かずえまち)があり、観光地としても人気です。芸妓数は合わせて40数名。若手も多く、格式、華やかさ、将来性、芸事を習う環境、一般の人々が楽しめる企画など総合力において、私が思うに全国でもトップクラス。何度も訪れている花街の一つです。

以下、新聞記事を元に、遠くからでもわざわざ訪れたい金沢茶屋街の魅力を、芸妓峯子さんにも触れながら、解説します。

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