<フィクション>『幻の柳橋』【5章】平成11年。惜しまれながら、潔く。①

「柳橋新聞」昭和33年7月15日発行より
「柳橋新聞」昭和33年7月15日発行より

【5】―①

「いな垣さん、とうとう閉めたそうですよ」

吉矢の芸者置屋を継いだ吉栄からそう聞いたとき、櫛を持つ千代子の手が止まった。吉矢が膝を痛めて座敷に出られなくなり、芸者を廃業して姉の住む郊外に引っ込んだとこの妓から聞いたのは、ふた昔以上前だった気がする。この町の重大情報は、いつも鏡ごしに千代子に伝わる。

いな垣は、柳橋で最後に一軒だけ残った料亭である。その店の廃業は、すなわち柳橋花柳界の終焉を意味する。1999年1月、千代子80歳の温かい冬に、柳橋芸妓組合解散。柳橋花柳界は400年の歴史に幕を下ろした。20名ほど残っていた芸者は出先を失い、そのときから「元芸者」になった。 続きを読む <フィクション>『幻の柳橋』【5章】平成11年。惜しまれながら、潔く。①