カテゴリー別アーカイブ: <全国花柳界>取材記

<全国> 2017年の花街訪問&イベント参加(抜粋)

●1月

東京・八王子「セレオ新春の宴」鑑賞/東京・浅草「浅草三業組合新年顔合わせ」/東京・八王子「新春はしご乗り&新春の舞」取材・撮影

●2月

東京・浅草「お化けお楽しみ会」(割烹あさくさ)/東京・八王子「お化け」観賞(すゞ香)/奈良「ならまち花あかり」芸妓の舞観賞&基調講演

●3月

東京・赤坂 「赤坂をどり」観賞/「第五回花街空間研究会報告会 花街の歴史とまちづくり」参加(東大本郷キャンパス)

●4月

東京・神楽坂「神楽坂をどり」鑑賞/東京・八王子「黒塀に親しむ会」総会出席/東京・八王子「若葉まつり・芸妓の舞」鑑賞/『芸者衆に花束を。八王子花柳界、復活』校了

●5月

東京・八王子 有隣堂セレオ店でパネル展開催/「第二回八王子をどり」開催・観賞 『芸者衆に花束を。八王子花柳界、復活』先行販売!/東京・浅草「三社祭・組み踊り鑑賞会」参加/東京・新橋「東をどり」観賞/日経新聞、讀賣新聞、タウンニュース等で『芸者衆に花束を。八王子花柳界、復活』刊行関連の取材を受け、記事が掲載される。

●6月

「お江戸つるや」参加(奈良・元林院の芸妓、菊乃さんの会)/富山・八尾町「八王子芸者衆のおわら風の舞・研修会」に同行

●7月

月刊誌『東京人』八王子花柳界の記事執筆/東京・八王子「あさがお市」/ラジオ文化放送「浜美枝のいつかあなたと」出演/東京・八王子「イーアス高尾イベント 八王子芸妓・高尾の舞」参加

●8月

東京・八王子「八王子まつり」

●9月

愛媛・松山「松実会」取材、高知「濱長」取材/東京・八王子「八王子南ロータリークラブ定例会」にて卓話/石川・金沢「金沢おどり」鑑賞/東京「大江戸寄席と花街のおどり」観賞/新潟「新潟をどり」鑑賞/ムック「八王子本」(枻出版)に掲載

●10月

東京・浅草「悠游亭」参加

●11月

東京・八王子「黒塀に親しむ会」参加/東京・浅草「秋の宴」参加

●12月

ジャパン・タイムズに記事掲載/東京・八王子「車人形と芸者衆の公演」鑑賞

 

 

<高知>土佐芸妓とお座敷遊び。「しばてん踊り」「可盃」

高知ならではのお座敷遊び

高知の料亭「濱長」

お座敷遊びは地方色豊かだ。先日、初めて高知の料亭「濱長」を訪れ、高知ならではのお座敷を体験してきた。

見番がなくなって以来(年代は確認できず)、高知の芸妓は各料亭の内芸妓として続いていたが、徐々に人数も減り、平成13年に濱長が一旦閉店したと同時に芸妓衆も途絶えたという。

平成19年、濱長が営業を再開することになり、どうせなら消えゆく土佐のお座敷文化を復活させようと、芸妓衆を一般募集。琴魚(きんぎょ)さん、そしてかつをさんがお披露目を果たし、土佐芸妓の歴史を再び創り上げるべく一歩を踏み出した。

現在、高知の芸妓は濱長の内芸妓である琴魚さん、かつをさんと、見習いの舞妓さん1人。濱長には他に、芸妓ではないが三味線・唄、踊りの出来る女性もいて、最大5~6人で舞台をつとめるるという。

●コの字型の各お座敷から眺める舞台

舞台の踊りを「八重松」の間から楽しむ

少ない芸妓でのおもてなしを、個室の良さを保ちつつ、いかに多くのお客さまに楽しんでいただくか――その答えが2階の造りにあった。真ん中に舞台、それをコの字型に取り囲む6つのお座敷。頃合いを見計らって仕切り戸をオープンにすれば、フロア全体が、真ん中に舞台を設えた大広間のようになるのだ。

同じ日にお座敷を持ったのも何かの縁。よそのお座敷の知らない者同士のお客さんも一緒に、芸妓衆の踊りを楽しみ、舞台に上がって踊ったり。(3階には完全個室もあり)

●「しばてん踊り」と「可盃(べくはい)」

「しばてん踊り」後の記念撮影

「しばてん」とは芝の葉を頭にかぶった天狗で、相撲を取るのが大好きな土佐の妖怪だという。各部屋から数人が舞台に上がり、しばてん手拭いをかぶって、「しばてん音頭」に合わせて見よう見まねの「しばてん踊り」。顔が隠れるので恥ずかしさも半減し、忘れられない愉快な思い出に。

可盃。天狗、ひょっとこ、おかめの盃と、コマ

その後は、お座敷で「可盃(べくはい)」。陶器のコマを、「べろべろの神様は正直な神様よ、<飲んべ>のほうへとおもむきゃね おもむきゃね」と唄いながら、お盆の上で回す。コマの先が向いた人が、コマの示した図柄の盃で、お酒を飲み干す、というもの。<飲んべ>の代わりに、いろいろな言葉を入れれば、不思議とぴったりな人を指すので、大盛り上がりだ。

●5月のGWには土佐おどりも開催

「土佐をどり」濱長パンフレットより

2011年、東日本大震災の年から始めた濱長最大の舞の祭典「土佐をどり」は5月2日~5日。全7公演開催する。屋形船や、大盃を一気に飲み干す「赤岡どろめ祭り」参加など、土佐芸妓は出来ることは何でもやる!と前向きだ。「とにかく仲間を増やしたい。人数が多くなればそれだけ出来ることも増える」(かつをさん)と、芸妓大募集中だ。

©sumiasahara

 

<東京・八王子> ドイツ映画『フクシマ・モナムール』が表現した〝芸者の強さ〟

桃井かおりさんに、釜石芸者・艶子さんが重なった

上映後舞台に上がった関係者たち。着物姿の女性が、ユキ役を演じた八王子芸者の菜乃佳さん。
上映後舞台に上がった関係者。着物姿の女性が、ユキ役が好評だった八王子芸者の菜乃佳さん。その左が桃井かおりさんとドリス・デリエ監督’(2016.10.15)

今年(2016年)2月、第66回ベルリン国際映画祭でパノラマ部門の優れたドイツ映画に贈られる「ハイナー・カーロウ賞」を受賞した『フクシマ・モナムール』が、10月15日、やっと日本で上映された(ドイツ映画祭2016。TOHOシネマズ六本木ヒルズ)。

主演の桃井かおりさん演じる芸者・サトミのモデルとなったのが、東日本大震災で被災した最後の釜石芸者・艶子さんだ。ドリス・デリエ監督は、震災をきっかけに艶子さんと八王子芸者衆の間に生まれたつながりの実話をヒントにこの映画を作ったという。(両者の縁のいきさつは、当サイトの「<岩手・釜石>追悼 最後の釜石芸者・艶子さん①~③」を参照)。 続きを読む <東京・八王子> ドイツ映画『フクシマ・モナムール』が表現した〝芸者の強さ〟

<京都・上七軒>名妓・勝喜代さん②。西陣で栄えた花街に生まれて

元芸妓の母、西陣の父の反対を押し切って

第59回北野をどりプログラム(平成23年)。
第59回北野をどりプログラム(平成23年)。

●華やかな祇園、しっとり落ち着く上七軒

上七軒は京都五花街の中でも最古といわれ、菅原道真公を祀る北野天満宮の近くに位置する花街だ。この少し珍しい名前は、室町時代、火事で一部を焼失した北野社(現在の北野天満宮)の修造作業中に残った材料で、七軒のお茶屋が建ったことに由来し、花街として成立したのは江戸時代初期と伝えられている。 続きを読む <京都・上七軒>名妓・勝喜代さん②。西陣で栄えた花街に生まれて

<京都・上七軒> 名妓・勝喜代さん①。お座敷で生まれる〝持ち芸〟

流行歌に合わせて即興で踊る名人芸

芸者影22

●浅草の元芸者・富千代さんの数々の持ち芸

芸者の芸には〝〇〇姐さんの持ち芸〟ともいうべき個人的な芸がある。一代限りで消えていくものも多く、師匠から弟子へ、先輩から後輩へ受け継がれる伝統芸能とは異なる究極のお座敷芸だ。常連客との気の置けない小座敷でこそ活きる芸、舞踊家には望むべくもない芸であり、お座敷遊びの醍醐味の最たるものといえるかもしれない。 続きを読む <京都・上七軒> 名妓・勝喜代さん①。お座敷で生まれる〝持ち芸〟

<岩手・釜石> 追悼 最後の釜石芸者・艶子さん③ 避難所で八王子に受け継がれた釜石の芸

あの日、避難所の一画が稽古場に変わった。

避難所となった旧釜石第一中学校体育館
避難所となった旧釜石第一中学校体育館

●歩くのも一苦労だったのに、踊るときはなめらかに動く足

2011年6月、八王子芸者のめぐみさんに同行して、釜石旧第一中学避難所に向かった。東北新幹線・新花巻駅で釜石線に乗り継ぎ、東京から片道5時間の長旅。めぐみさんとひと月ぶりの再会を果たした艶子さんは、「うれしくて夕べは寝られなかったのよ。あなたが来るからせめて髪だけは結ってもらったの」とマットレスの上で涙ぐんだ。送られた舞扇を手にすると、座ったままひらひらと舞わせ、上半身だけで踊りだした。 続きを読む <岩手・釜石> 追悼 最後の釜石芸者・艶子さん③ 避難所で八王子に受け継がれた釜石の芸

<岩手・釜石> 「フクシマ・モナムール」 ベルリン国際映画祭で「ハイナー・カーロウ賞」受賞

速報

東日本大震災で被災した釜石最後の芸者・艶子さんと八王子芸者衆の実際の交流をヒントに描かれたドイツ映画、「フクシマ・モナムール」(ドリス・デリエ監督。桃井かおりさん出演)が、第66回ベルリン国際映画祭で、パノラマ部門「ハイナー・カーロウ賞」を受賞しました。

 

 

<岩手・釜石> 追悼 最後の釜石芸者・艶子さん② 津波が流したもの、運んできたもの

2か月ぶりにお座敷に呼ばれていた、まさにその日の地震
艶子さんが約3か月半過ごし旧釜石一中避難所
艶子さんが約3か月半を過ごした旧釜石一中避難所

2011年3月11日は、2か月ぶりに幸楼のお座敷に呼ばれていた日だった。久しぶりのお座敷がうれしくて、昼前に髪結いを済ませ、近所の小料理屋「火の車」から届いた鯖の味噌煮で軽い腹ごしらえをしようとした矢先の、揺れ。「最初はゆらゆらゆらと弱かった。逃げ場を確保するためにすぐに部屋を飛び出して玄関の戸をを開けた。揺れが止まった、と思ったら、次の揺れは大きかった、ぐらぐらぐら」 続きを読む <岩手・釜石> 追悼 最後の釜石芸者・艶子さん② 津波が流したもの、運んできたもの

<岩手・釜石> 追悼 最後の釜石芸者・艶子さん① 14歳で芸者に。「自分で選んだ道だった」

2016年1月6日、最後の釜石芸者・艶子さん(舞踊名・藤間千雅乃=ふじまちかのさん)が亡くなられた。享年89歳。東日本大震災で家を流され避難所暮らしをする中、国内外のマスコミから注目を浴びることになった艶子さんに、私は八王子芸者めぐみさんとのご縁で出会い、何度か取材の時間をとっていただいた。釜石の避難所で、仮設住宅で、そして東京のホテルで――。昨年、企画中の本に収録しようと書いた文章は結局、陽の目を見ず、私のPCの中に眠ったままだ。追悼の想いをこめて、この場に残したいと思う。

2012年6月 「黒髪」を踊る艶子さん(八王子すゞ香にて)
2012年6月 「黒髪」を踊る艶子さん(八王子すゞ香にて)

続きを読む <岩手・釜石> 追悼 最後の釜石芸者・艶子さん① 14歳で芸者に。「自分で選んだ道だった」