<山形・七日町>山形市の誇り。歴史的建造物と芸妓と舞子

120畳の大広間に映える、山形芸妓とやまがた舞子

「のゝ村」広間にて(1996年11月取材。『夫婦で行く花街 花柳界入門』より。撮影・中川カンゴロー)
「のゝ村」広間にて(1996年11月取材。『夫婦で行く花街 花柳界入門』より。撮影・中川カンゴロー)

●1996年(平成8年)、念願の「山形舞子」が誕生した

*1998年(平成10年)発行 拙著『夫婦で行く花街 花柳界入門』(小学館)より抜粋(下線部)

山形市内の花街・七日町は、最近、急に活気づいてきた。

料亭のご主人や財界が中心になって10年間準備を進めてきた「山形舞子」が平成8年6月に誕生したのだ。

6人の「舞子さん」が無事お披露目を果たすことができたのは、小蝶(こちょう)姐さんの指導によるところが大きい。

「私たちが先輩から教わってきた芸の中には『紅花摘み唄』のように山形独特のものもあるんです。そういう伝統的な踊りを舞子さんたちに引き継いでもらいたくて、一生懸命教えました。座り方も知らなかった子が3か月で踊れるようになったんですから、みんな頑張ったんですよ」

三層楼16角形の市郷土館、アーチ形飾り窓の旧山形師範学校校舎、時計台のある文翔館――。洋風建築物が目をひく山形市の中心部にあって、明治時代の古い料亭が残る七日町は、そこだけ違った趣を感じさせる。

その中でも最も歴史のある『のゝ村』の初代が、明治初期に東京から連れて来たのが山形芸者の先祖だ。

「祖父が笹谷峠を越えて2台の人力車で連れて来た数人の芸者を、父は旗を振って出迎えたそうです」

と、『のゝ村』3代目女将・野々村ゆき子さんが語る。

昭和初期には100名もの芸者がいた。今も残る「花小路(はなこうじ)」は七日町の目抜き通りだった。

《花小路のど真ん中に宝湯という銭湯があって、芸者連は座敷に出る前は、この浴場で磨きあげる。夕暮れどき洗い髪の仇姿は、えもいわれぬ美しい日本の風景である》(『やまがた花柳物語』=「のゝ村」創業120年を記念して平成4年に作られた貴重な資料)

「昔は雪が降るとなかなか溶けなかったのよ。お料理屋さんに着くと、お客さんが『寒かっただろ、駆けつけ三杯だ、飲め飲め』なんて言ってくださるもんだから、私たちもみんな本当によく飲んだんですよ」

と小蝶姐さんが語るのは、かれこれ30年前の話。

「だから帰るときは、もう大変。お正月なんか重い鬘かぶって裾の長い引き着を着てるわけよ。それで道はカチカチに凍ってるし、私たちは酔っぱらってるし。滑って転んで、鬘が飛んじゃって……。私じゃないですよ、違う人の話」

こんな光景が見られなくなったのは、正直いって少し残念である。

●2014年、18年ぶりに訪れた山形・七日町

山形市七日町の料亭「千歳館」の玄関(2014)。2002年に国の登録有形文化財に選ばれた。
山形市七日町の料亭「千歳館」の玄関(2014)。2002年に国の登録有形文化財に選ばれた。

2014年夏、山形歴史たてもの研究会主催「城下町やまがた七日町料亭街シンポジウム」開催に合わせて、18年ぶりに山形花柳界を訪れた。

文翔館議場ホールでのシンポジウム、七日町界隈まちあるきの後、料亭「千歳館」でお座敷体験。明治9年創業の千歳館は、正面玄関の西側は鹿鳴館調の洋館、庭に面した東側は純和風という珍しい建物で、2002年に国の登録有形文化財に選ばれた建築学上も貴重な料亭である。

料亭「千歳館」の大広間でお座敷体験。芸妓の三味線と唄で舞子が踊る(2014年8月)
料亭「千歳館」の大広間でお座敷体験。芸妓の三味線と唄で舞子が踊る(2014年8月)

コの字型に膳を並べた120畳の大広間――。東京の人間にとって、対面の席との距離がこんなに離れていること自体が珍しく、とてつもなく贅沢な場に思える。これだけ広々とした空間でのお座敷遊びは全国的にもそう経験できるものではない。これは、間違いなく山形花柳界の強みだと思う。

……そういえば18年前に取材撮影をした料亭「のゝ村」のお座敷も大広間にコの字の膳だった。広間の真ん中に石油ストーブが置いてあったのが妙に印象に残っている。山形の11月は、もう初冬なのだろうか――。(冒頭のモノクロ写真参照)

*山形を代表する明治創業の三料亭(千歳館のゝ村四山楼)。その歴史的価値は「山形歴史たてもの研究会」活動報告に詳しく掲載されている。

やまがた舞子」は、1996年に設立した舞子の養成・派遣会社「山形伝統芸能振興会社」(社長・柏倉信幸山形交通社長)の社員芸妓だ。全国に先駆けて1987年に株式会社形式の置屋(柳都振興株式会社)を設立させた新潟の花柳界・古町に市場調査に赴いてから、約10年。市内各界名士の協力を得てやっと実現した舞子誕生であった。

千歳館4代目当主・澤渡和郎氏発行の『花小路NOW』2014年6月号によると、「やまがた舞子」は2014年4月に10期生4人が入社し、全部で8人となった。昔ながらの置屋育ちの山形芸妓は6名、料亭は6軒。

今回訪れて、18年ぶりの嬉しい「再会」が2つあった。1つは小蝶姐さんが今も山形芸妓置屋組合長として活躍されていたこと。もう1つは、山形舞子1期生6人の1人、菊弥さんが2005年に実に30年ぶりの山形芸妓として独立していたこと。菊弥さんは18年前の取材・撮影のことを覚えていた。人に良い感じを与える明るさの持ち主で、彼女と話していると、なんとなく「山形花柳界の将来はだいじょうぶ」と思えてくるから不思議だ。あらためてゆっくり話を聞いてみたいと思わせる芸妓である。

そういえば、新潟古町でもあおいさんが「柳都さん」を卒業し、置屋を構えて独立した(2015年)。今、各地の花柳界で、20代、30代、40代の若手が〝動き始めて〟いる。社員芸妓から一本立ちしたり、置屋から独立して新たな置屋を立ち上げたり、新人芸妓を育て始めたり……。

大ベテラン芸者衆の訃報や老舗料亭の廃業など、時代の流れに抗いきれない出来事が次々と耳に入ってくる昨今だからこそ、若手が頑張っているニュースが何倍も頼もしく聞こえる。

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