花柳界の辞書に、「おばさん」と「おばあさん」は無い!
芸者衆の名前(芸名)がわからないときや、会話の中でさらりと呼びたいときは、迷わず「お姐さん」(おねえさん)。たとえ自分の母親や祖母と同年代か、明らかに年上に見えても、決して「おばさん」「おばあさん」と呼んではいけません。
これは全国すべての花柳界に共通の約束事。芸者衆は日々芸事に精進し、お座敷では芸や会話や気遣いでお客さんを楽しませる〝もてなしのプロ〟として、現役である限り、「老けない。年はとらない」という気概をもって仕事をしています。花柳界の中で「おばさん」「おばあさん」がタブーなのは、芸者衆の心意気の表れだといえるでしょう。
また、「お母さん」もNG。花柳界で「お母さん」といえば、芸者衆が置屋の主人を指して呼ぶ言い方と決まっています。お客さんが芸者衆に対して使う言葉ではありません。
以前、某花街の某芸者衆に、「もしお客さんに〝おばさん〟と呼ばれたら、どうしますか?」と尋ねたところ、「心配しなくてだいじょうぶですよ。お帰りはあちらですよー、と言うだけですから(笑)」とキツイ冗談が返ってきました。
花柳界入門者が、まず覚えたい言葉は「おねえさん」――。これに間違いはなさそうです。
1994(平成6)年、私が初めて取材をした芸者さんは、かつて超一流の花柳界といわれた柳橋(1999年、最後の料亭「いな垣」廃業に伴い花柳界の組合が解散)の蔦清小松朝じさん。当時101歳の現役芸者でした。朝じさんは著書『女はきりきりしゃん あたしは百歳 現役芸者』(ごま書房)の中で、100歳でバスに乗ったときの出来事を次のように憤慨しています。
<乗ったらすぐに運転手が「お婆さん、気をつけてください」って言うのよ。マイク使っているからバスの中の人に全部聞こえるでしょう。失礼ですよね。いったい誰のことを言ってるのかしら、ってすました顔してキョロキョロしてやったんですよ。>
そして静岡市の志郎さんは、平成7(1995)年当時90歳。1人暮らしの現役芸者でした。インタビューの中で私が、「毎日お三味線のお稽古をしているからお元気なのですね?」と聞くと、「それをやらなきゃ、ババアになっちゃう」と即答。周囲に笑いの嵐を巻き起こしました。芸者って、なんてすごいんだろう……。私が今まで聞いた芸者の言葉の中で、もっとも強烈な、忘れられないひと言です。
考えてみれば、私の花柳界への興味の発端は、この二人の明治生まれ芸者衆の気概に魅せられたことでした。いずれも、決して「おばあさん」ではなく、「おねえさん」と呼ばれるにふさわしい生き方をしていました。
©asahara 文章・写真の無断転載禁止