「戦前を知る芸者」タグアーカイブ

<西日本・X花街> 芸者・りんものがたり➆ 「恨みもしたけどな、お参りは欠かさなかった」

芸者・りんものがたり➅より続く

●両親の命日には、お参りを欠かさなかった

りんは親への非難めいたことを一切口にしなかった。長い年月の間に風化してしまったのか、もともとあまり感じなかったのか――。親を恨んだか、と聞いてみた。

りんは少し考えてから、「……そやな……恨みもしたけどな……。お父さんは死に際に、お前にはずいぶん可哀想な目にさせたな、と言って謝ったよ」とだけ言った。そして、両親の命日にはお参りを欠かさずに生きて来たことを、当たり前のこととして話した。 続きを読む <西日本・X花街> 芸者・りんものがたり➆ 「恨みもしたけどな、お参りは欠かさなかった」

<西日本・X花街> 芸者・りんものがたり➅ 「楽しんでもくよくよしても、一生は一生や」

芸者・りんものがたり➄より続く

●一生、芸者として生きて行こうと決心した

「長く生きていれば話したくないこともある。不幸まではな……」と多くを口にしなかったことが、かえってりんの経験してきたことの重みを物語る。いっとき旦那さんの世話になったり、結婚話が進みかけたことがあったらしいが、30歳になる少し前に――何が直接のきっかけだったかわからないが、自分は一生、芸者として生きていくと決心したという。

そう決めた以上は、食い外しのないよう生きていく術を身につけなければならない――。 続きを読む <西日本・X花街> 芸者・りんものがたり➅ 「楽しんでもくよくよしても、一生は一生や」

<西日本・X花街> 芸者・りんものがたり➄ 悲喜こもごも、戦前のお座敷

芸者・りんものがたり➃より続く

●大金持参で4日も5日もお茶屋に居続ける

りんは15歳で半玉(はんぎょく。半人前の子どもの芸者)になった。裾を引いた振袖の着物にぽっくりを履いた姿は京都の舞妓に見紛うが、後ろ姿を見れば違いは一目瞭然だ。帯を舞妓の特徴である〝だらりの帯〟ではなく、ふつうにお太鼓か蝶々に結んであるからだ。この世界の仁義として〝京都真似〟はできなかった。

戦前のX町で羽振りのいい客といえば、なんといっても山持ち――山林地主の材木屋だ。とくにXの檜は質が良く高値で売れた。材木屋の社長が商談のために番頭を連れて山を下りて来る。一本の木が売れればごっそり儲かる。厚い現金の束を腹巻の中へごっそり入れて、「これで遊ばせてくれや」とX町のお茶屋へやってくる。 続きを読む <西日本・X花街> 芸者・りんものがたり➄ 悲喜こもごも、戦前のお座敷

<西日本・X花街> 芸者・りんものがたり④ 「ここで生きていかな、しゃーない」

芸者・りんものがたり➂より続く

●唯一、子供らしさを取り戻すとき

たった4人で姉芸者20数人の世話をするのだから、おちょぼは忙しい。三味線を出先の料理屋に運び、お座敷が終わったら置屋に持って帰ってくる、姉芸者の脱いだ着物を畳んで箪笥に収める、足袋などこまごました日用品の買い物、部屋の掃除など仕事は山ほどある。

姉芸者には絶対服従だ。「この畳み方はあかん! やり直し!」と箪笥の引き出しにしまったばかりの着物を引っ張り出されて、床に放り投げられても文句はいえない。 続きを読む <西日本・X花街> 芸者・りんものがたり④ 「ここで生きていかな、しゃーない」

<西日本・X花街> 芸者・りんものがたり➂ 「おいしいご飯を食べさせてもらえるで」

芸者・りんものがたり②より続く

●かつての役割を失っても、建物は残った

X花街の存在は、すぐ近くに有名な花街があるためだろうか、昔からあまり知られていなかった。大正から昭和にかけての全盛期でも「芸妓置屋19軒、芸妓135名」と比較的小規模な花街なのである。しかし2.3分も歩けば回りきれてしまうほどの小さな一画にそれだけの人数の芸者がいたことを想うと、狭さが逆に密度の濃さと活気を想像させる。

昭和40年代半ば以降、芸者の高齢化と減少が一気に進む。昭和62年に置屋5軒、芸妓30人。平成26年に置屋2軒、芸妓3,4人。花街としての活気は失われて久しいが、実はX花街ほど昔の町並を失わずに残している街は全国でも珍しい。明治・大正時代に建てられた町屋が、置屋や料亭をとうの昔に廃業しても外観をほぼそのまま残して静かに並んでいるのである。 続きを読む <西日本・X花街> 芸者・りんものがたり➂ 「おいしいご飯を食べさせてもらえるで」

<西日本・X花街> 芸者・りんものがたり② 「昔のことはもう話したくない」

芸者りんものがたり➀より続く

●タイミングが合わず、4年のブランクが

しばらくたってから「覚えていますか? また話を聞かせてください」と手紙を出すと、「X町へぜひ来てください。お待ちしています」と返事が来た。頃合いを見て電話をすると、体調がよくないので暖かくなってからにしてほしいという。 続きを読む <西日本・X花街> 芸者・りんものがたり② 「昔のことはもう話したくない」

<西日本・X花街> 芸者・りんものがたり➀ 「今度生まれても、また芸者になりたいな」 

●芸者の「芸」の意味を教えてくれた人

花柳界の現実は厳しい。毎晩のようにお座敷がかかり、何軒もの料亭をはしご。帰宅して帯を解けばバラバラとこぼれ落ちるご祝儀袋を拾い上げ、中身も確かめずそのまま神棚へ。たまには休みたいわ……とぼやきながら働きつづけた時代は、せいぜい昭和30年代までだ。 続きを読む <西日本・X花街> 芸者・りんものがたり➀ 「今度生まれても、また芸者になりたいな」 

<北海道・小樽> 小樽最後の芸者・喜久さんを想う➄。来ないお客をいつも待っていた

喜久さんを想う➃より続く

●「この電話は、現在使われておりません」

思い出のいっぱい詰まった「おたるむかし茶屋」(2011年撮影)

平成24年10月、久しぶりに「おたるむかし茶屋」に電話をした。いつものように電光石火の早業で出るかと思いきや、聞こえて来たのは「現在使われておりません」の予期せぬメッセージ。

――悪い予感がした。 続きを読む <北海道・小樽> 小樽最後の芸者・喜久さんを想う➄。来ないお客をいつも待っていた

<北海道・小樽> 小樽最後の芸者・喜久さんを想う➃。「おたるむかし茶屋」で毎晩、何を思う

喜久さんを想う➂より続く

●目にもとまらぬ速さで受話器を取る

「おたるむかし茶屋」(2010年撮影)

喜久さんとは不思議と年賀状のやりとりが続いた。必ずひと言、「たまにはお顔見せてください」「お会いしたいですね」「お立ち寄りください」などと書き添えてある。が、小樽は遠い。

たまに電話をかけると、ベル音が鳴ったか鳴らないかくらいの驚くべき速さで「もしもし」と元気な声が聞こえる。いつかけても、必ずそうだった。「電話に出るの、速いねー」「そお? ひまだからさ」。「お客さんは?」「来なくていいんだ、昔さんざん働いたから」。何度、同じやり取りを繰り返しただろうか。

初対面から11年後の平成22年、再び「おたるむかし茶屋」を訪れるチャンスがやって来た。 続きを読む <北海道・小樽> 小樽最後の芸者・喜久さんを想う➃。「おたるむかし茶屋」で毎晩、何を思う

<北海道・小樽> 小樽最後の芸者・喜久さんを想う➂。「海陽亭」に刻まれた歴史と栄華

喜久さんを想う②より続く

●華やかなりし名料亭――北の迎賓館「海陽亭」

海陽亭玄関(2011年撮影)

喜久さんの昔話に頻繁に登場する料亭が、明治創業の「海陽亭(かいようてい)」だ。小樽港を見下ろす高台に建つ木造二階建ての建物は昭和60年に小樽市の歴史的建造物に指定され、平成27年まで冬場を除き営業を続けた。

小樽の繁栄を象徴する建物であり、明治39年に小樽で行われた日露戦争後の樺太国境画定会議の後、両国の軍人など約60名が集まり大広間で大宴会が開かれるなど、「北の迎賓館」としての役割を果たし続けた。 続きを読む <北海道・小樽> 小樽最後の芸者・喜久さんを想う➂。「海陽亭」に刻まれた歴史と栄華