<西日本・X花街> 芸者・りんものがたり④ 「ここで生きていかな、しゃーない」

芸者・りんものがたり➂より続く

●唯一、子供らしさを取り戻すとき

たった4人で姉芸者20数人の世話をするのだから、おちょぼは忙しい。三味線を出先の料理屋に運び、お座敷が終わったら置屋に持って帰ってくる、姉芸者の脱いだ着物を畳んで箪笥に収める、足袋などこまごました日用品の買い物、部屋の掃除など仕事は山ほどある。

姉芸者には絶対服従だ。「この畳み方はあかん! やり直し!」と箪笥の引き出しにしまったばかりの着物を引っ張り出されて、床に放り投げられても文句はいえない。

買い物を頼まれ、姉芸者が「お釣りは使っていいよ」と言ってくれたときだけは心が弾んだ。たとえわずかな額でも、買い物帰りに自分の好きなお菓子――おかきやお好み焼きを買って食べながら歩く時間は、我慢の生活の中で唯一の楽しみだった。

置屋での食事といえば、ご飯と味噌汁に漬物と簡単な一品で、毎月1日と15日の2日だけは焼き魚がつく質素なものだ。小銭を握りしめて今日は何を買おうかなと考えながら歩くとき、お店でお菓子を選ぶとき、それを食べるときだけ、りんは本来の子どもらしい表情を取り戻していた。

●「何べん、家に逃げて帰ったかわからない」

底冷えがするX町の冬の、とくに雨の日は朝から気持ちがふさいだ。姉芸者たちの濡れた下駄や傘を、凍るほど冷たい水で洗って干すという大嫌いな仕事が待っている。

こうして働きづめの一日が終わり、ぐったり疲れた真冬の夜中。うとうとし始めたころ、階下から聞こえてくるのはお座敷を終えて戻った姉芸者が「おちょぼはん!……ちょっとおちょぼはん!」と呼ぶ声だ。冷え切っていた布団がやっと温まったばかり。一緒に寝ている子同士、「あんたが行け!」「いやや、あんたや!」と押し付け合っていると、「あんたら、なに喧嘩してんねん! 早うせい!」と姉芸者の機嫌はますます悪くなる。「しゃーない、じゃんけんや……」

そんな生活にじっと耐える子もいれば、「やってられない」と逃亡を図る勝気な子もいる。りんは後者だった。

「まだ遊びたい盛りやろ? 何べん家に逃げて帰ったかわからない。一緒に帰ろうと、友だちを連れて抜け出したこともある。そやかて、すぐに親方が追っ手を回して追いかけてくる、連れ戻される。また逃げる、連れ戻される。それの繰り返しや。もうしゃーない、私ら、親方に括られている身やから、泣く泣くでもここにおらな」

以来、りんは父親が亡くなったとき以外、一度も家に帰らなかった。

「しゃーない」と、りんは何度もこの言葉を口にした。しかたがない――。「ここで生きていかな、しゃーないわな。そのうちに、朱に交われば赤くなる。いつの間にかずるずるずると、自然とこの世界になじんでいった」

あきらめた、ということだろうか。

芸者・りんものがたり➄へ続く

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