<西日本・X花街> 芸者・りんものがたり➅ 「楽しんでもくよくよしても、一生は一生や」

芸者・りんものがたり➄より続く

●一生、芸者として生きて行こうと決心した

「長く生きていれば話したくないこともある。不幸まではな……」と多くを口にしなかったことが、かえってりんの経験してきたことの重みを物語る。いっとき旦那さんの世話になったり、結婚話が進みかけたことがあったらしいが、30歳になる少し前に――何が直接のきっかけだったかわからないが、自分は一生、芸者として生きていくと決心したという。

そう決めた以上は、食い外しのないよう生きていく術を身につけなければならない――。

芸者で一生食べていくとしたら、三味線の弾き唄い(弾きながら唄う。弾き語りともいう)の技を身につけ、レパートリーを増やすのが確実な方法だ。弾き唄いのできる地方(じかた。演奏を担当する芸者)が1人いれば、立方(たちかた。踊りを担当する芸者)を何人でも踊らせることができる。

ジャンルを問わず多くの曲を知っていれば、芸達者な客の持ち唄を何でも伴奏することができ多くのお座敷に呼んでもらえる。弾き唄いのできる芸者は、少ないだけに重宝され、年をとってからも仕事に恵まれる確率は高い。

りんは踊りを捨て、三味線と唄に絞り、常磐津、清元、小唄、端唄、長唄とかたっぱしから稽古に没頭した。それまでいい加減な気持ちでさぼってばかりいた稽古も、気持ちが入れば覚えも早い。あきらめが、覚悟に変わったということだろうか。

●唯一人の三味線弾き。「私には値打ちがある」

平成22年、私が初めてりんに会ったときはすでに、X町で三味線弾きはりん一人になっていた。

「私がいなくなったら――若い芸妓さんたちはテープで踊ることになる、花柳界の情緒もなくなる。私にはそれだけの値打ちがあるんや」と話すりんは自信にあふれていた。

「芸がなかったら誰がこんな年寄りをお座敷に呼んでくれます?」。その流れで「今度生まれても芸者になりたい」の言葉が飛び出し、「私は陰気は嫌いやから。楽しんで暮らしても、くよくよして暮らしても、一生は一生や」と言いきった。

うりざね顔の肌は羽二重餅のようだった。手入れ法を聞くと、「何もせえへんで。顔洗って、日本酒をちょっちょっちょっと塗るだけや」とうれしそうに教えてくれた。

あれから3年。電話口でもう昔のことは話したくないと告げたりんは、足腰の不調を訴え、お座敷も断っていると言っていた。芸を披露する場が、なくなっていたのだ。食べるために身につけた芸が、いつの間にかそれ以上に大きなもの、自分の存在価値、生きる意欲の源になっていた。残念なことに、せっかくの芸が宝の持ち腐れになりかねない現実の中に、りんはいた。

りんを追い、三度目の取材が叶わなかったことで、私は芸者にとっての芸の意味をあらためて考えさせられた。

そういえば初対面の日、りんはこう言っていた。「芸を捨てろと言われたら、死んでしまえといわれるのと一緒や」―-。あの時のりんは、実に威勢がよかった。

芸者・りんものがたり➆に続く

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