<西日本・X花街> 芸者・りんものがたり➀ 「今度生まれても、また芸者になりたいな」 

●芸者の「芸」の意味を教えてくれた人

花柳界の現実は厳しい。毎晩のようにお座敷がかかり、何軒もの料亭をはしご。帰宅して帯を解けばバラバラとこぼれ落ちるご祝儀袋を拾い上げ、中身も確かめずそのまま神棚へ。たまには休みたいわ……とぼやきながら働きつづけた時代は、せいぜい昭和30年代までだ。

平成から令和へ移らんとする今、高齢になっても日常的にお座敷のかかる芸者はほんのひと握りだ。生きるために身につけ、生きる術となった芸も、使う場がなく、体の中にひっそり抱えて生きている芸者は少なくない。

この状況が逆に、芸者にとって「芸」の持つ意味の大きさを浮き彫りにすることがある。

直接話を聞いた回数は2回だけだが、平成22年から足掛け5年間、手紙や電話で関わり、そんなことを考えさせられたある芸者の話を書き残しておきたい。

●「今度生まれても、また芸者になりたいな」

 

西日本のX花街のりん(仮名)は昭和一桁生まれ。初対面のとき80代前半だったが、とてもその年齢には思えないほど頭の回転が速く、はっきりものを言う人だった。

一尋ねるとよく通る大きな声で「そら、そうや」「そんなことあらへん」「あたりまえや」とまずイエス・ノーで即答し、立て続けに十の言葉を返してくる。その勢いのまま、「よく時代劇にあるやろ? 貧乏なお百姓さんが娘を売るシーンが。あれと同じようなもんや」と前置きをしたあと、自分の身の上を「親にだまされたようなもんや」「つらくて何度も家に逃げ帰った」と語った。

りんは、私が返答に困るような体験を、淀みなく淡々と、他人事のように語った。その中身もさることながら、私が驚いたのは、挙句に「今度生まれても、また芸者になりたいな」と言ったことだった。

サーっと、鳥肌が立った。

借金を背負わされて半ば無理やり放り込まれた世界だというのに、「また芸者になりたい」とは……。いったい芸者という仕事の何が、そう言わせるのだろう。

このひと言で私はりんに、殊更の興味を持った。翌年、追加取材を申し出、更に2時間ほど話を聞いた。

まだ聞き足りない気がした。まったく、取材というものはきりがない。

芸者・りんものがたり②に続く

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