東をどり百回記念公演
●神楽坂・浅草・上七軒それぞれのオリジナル曲で
東をどり2日目。今回2幕目で登場するのは東京から2花街(神楽坂・赤坂)そして京都からは京都五花街の一つ・上七軒(かみしちけん)。 続きを読む <東京・新橋> 5月22日・2日目(東をどり百回記念公演)
東をどり百回記念公演
●神楽坂・浅草・上七軒それぞれのオリジナル曲で
東をどり2日目。今回2幕目で登場するのは東京から2花街(神楽坂・赤坂)そして京都からは京都五花街の一つ・上七軒(かみしちけん)。 続きを読む <東京・新橋> 5月22日・2日目(東をどり百回記念公演)
●江戸中期からの伝統を守るために
新型コロナウイルス感染症により、花柳界は全国的に大きな打撃を受けています。「一人も、一軒も欠けることなくコロナ禍を乗り越えたい」との思いはどの花街も共通。東京・浅草と京都はクラウドファンディングで広く応援者を募集しています。
いずれも、350万円以上(7月13日現在)集まっており、多くの人が応援していることがうかがえます。
●東京浅草組合
江戸初期から続く伝統を一緒に支えていただけませんか? https://camp-fire.jp/projects/view/282761
●京都おおきに財団
京都五花街・芸妓・舞妓支援プロジェクトhttps://the-kyoto.en-jine.com/projects/ookini
● 雄々しい、奥床しい、嫋やか、気高い
私が、それまで全く縁もゆかりも、興味もなかった「芸者」という人を初めて取材したのは、平成6(1994)年だった。当時百一歳の現役芸者、柳橋の蔦清小松朝じ(つたきよこまつ・あさじ)姐さんである。
以来、各地の芸者さんを取材するうちに、他のどの職業とも似ていない独特の「芸者らしさ」というものを、全国どこの芸者さんも共通に、そして芸歴が長いほど強く持ち合わせていることに気がついた。
●何度も繰り返し話すことの意味
2019年2月20日夜、現役最高齢芸者・浅草のゆう子さんが亡くなった。大正12(1923)年生まれ。享年96歳。
*ゆう子(本名・菊池文)さんの本葬は、2月28日午後2時~ 浅草三業会館(浅草見番 。台東区浅草3-33-5 )にて執り行われる。
私が ゆう子さんを取材した回数は 、正式な「インタビュー」として録音したケースに限れば、平成13年から約10回を数える。雑誌の仕事としてのインタビューもあれば、「発表する当てはないが、とにかく昔の話を聞かせてほしい」と見番を通して頼み込んでの自主取材もあった。
何度も何度も、繰り返し出てくる話がある。口に出す回数の多さは、ゆう子さんにとっての、その出来事の重要性と比例するのだと思う。こうして一度や二度の取材ではわからないゆう子さんの歴史の「層」が、なんとなく見えてくるような気がした。
●2017年12月、最後だったかもしれないお座敷にて
2019年2月20日夜、現役最高齢芸者・浅草のゆう子姐さんが亡くなった。大正12(1923)年生まれ。享年96歳。
新聞の訃報によれば、最後のお座敷は一昨年(2017年)12月だったという――もしそれが12月6日だったとしたら、 私は幸運にも、ゆう子さんの最後のお座敷に居合わせたことになる。良き友人のX氏が久しぶりにゆう子姐さんを呼んだお座敷に同席させていただいたのである。
●平成になり、花柳界が門戸を広げ始めた。
私が花柳界に興味を持ち、取材をしはじめた平成7,8年ころ、花柳界はすでに、特定の限られた客層を相手に閉鎖性を売り物にする「一見さんお断り」(要紹介)一色の世界ではなくなりつつあった。たとえば浅草花柳界で「花柳界初体験のお客様に特におすすめのプラン」と銘打った前代未聞の「お座敷入門講座」が始まったのもちょうどそのころだ(*すでに終了)。土曜日の夜限定で、12人以上のグループに対して、芸者衆6名以上がつき、酒肴と飲み物1本つきで税別一人19,800円といういわば〝パックのお座敷遊び〟である。料金を明朗に提示し、芸者衆がお座敷遊びを手取り足取り教えてくれる、という2点において斬新な企画だった。それまで、お座敷のルールは先輩に連れられて恥をかきながら覚えるものだったし、請求書払いが当たり前で〝お得〟といった野暮な金銭感覚の入り込む余地などなかったはずだ。花柳界の長い歴史の中でも、画期的な試みだったのである。
●三社祭は、水に縁ある「浅草神社」の例大祭
三社祭には雨がつきもの……これは浅草の人々の〝常識〟だ。といっても単なる統計学的な確率ではなく、三社祭の由来にまつわる由緒正しい理由がある。 続きを読む <東京・浅草> 2016三社祭「くみ踊り」。街もお座敷も晴天なり。
<9月>
●<石川・金沢> 「第12回 北陸新幹線開業記念 金沢おどり」観賞 (石川県立音楽堂邦楽ホール)
<5月>
●<東京・浅草>三社祭お楽しみ会 (草津亭、あさくさ)。
浅草花柳界のシンボル的存在・明治創業の料亭「草津亭」が、5月いっぱいで店を閉めることになった。思い出深い草津亭の大広間で、最後の「三社祭を楽しむ会」。(現在は浅草花柳界内の新店舗「草津亭」で営業中)。まだ築20数年の頑丈な造りの料亭が、空調設備の老朽化や耐震化に伴う高額な改修費用を負いきれないという理由で、やむを得ず店を取り壊し、更地にマンションが建つ……。似たような話は各地の花街で起きている。惜しい、残念だ、と言うのは簡単だが、直接当事者の話を聞くとやむを得ない選択だったのだろうと思わざるをえない。設備の寿命が建物自体の寿命より短いのであれば、せめて簡単に修理・改修できるような設計・建築方法があるとよいのだが。