<東京・浅草>現役最高齢芸者・96歳ゆう子さんを偲ぶ➀

●2017年12月、最後だったかもしれないお座敷にて

2017年12月6日。「割烹あさくさ」にて、ゆう子姐さん

2019年2月20日夜、現役最高齢芸者・浅草のゆう子姐さんが亡くなった。大正12(1923)年生まれ。享年96歳。

新聞の訃報によれば、最後のお座敷は一昨年(2017年)12月だったという――もしそれが12月6日だったとしたら、 私は幸運にも、ゆう子さんの最後のお座敷に居合わせたことになる。良き友人のX氏が久しぶりにゆう子姐さんを呼んだお座敷に同席させていただいたのである。

髪をきれいにセットし、着物をスッキリと着こなした様子はいつもと変わらず朗らかで明るく、「10日ほど寝込んでいたのよ」とその口から聞かされなければ、体調を崩していたことなど想像することもできなかった。

そのときの、他愛もない会話ばかりを思い出す。「私が昔好きだったアイドルはね、嵐寛(嵐寛十郎)だったの。長谷川一夫はきれいすぎるのよね」。「明治座に行ったらね、座席に座ろうと思ってステンって尻餅をついちゃったのよ」。「新橋の芸者衆が、太夫衆(たいこもち)の芸を品良くやったのよ。さすがだわね。なかなかできないことよ、ああいう芸を品良く、っていうのはね」

そして、曲目は何だったか……X氏の小唄に合わせて三味線を弾いたゆう子姐さんの、なんと楽しげだったことか。指が、バチを持つ形に曲がってしまうほどの気の遠くなるような長い年月、弾き続けて来たゆう子姐さんの、もしかしたら最後だったかもしれない三味線伴奏。ああ、私も小唄の一つくらい覚えておけばよかった……。

ゆう子姐さんと共に過ごした、いとしき時間

かつて東京を代表する花街だった柳橋に、百一歳で現役の朝じ姐さんという名物芸者がいた。「朝じ姐さんのことを考えるとね、私は絶対に百まで生きるんだ、って思っているの」――私にこう語ったのは平成15年、ゆう子姐さん80歳のときだった。その後、さらに欲が出たのだろうか。いつの間にか口癖は「百歳まで〝現役よ〟」に変わっていた。

ゆう子姐さんが逝ったのは、2月4日に96歳の誕生日を迎えた半月後だ。「あともう少しで百歳だったのに」と悔しがっただろうか、「四捨五入すれば百歳だわ」と笑っただろうか。

見番(花柳界の事務所)にほど近いご自宅には、何度もお邪魔させていただいた。「新菊の家」と置屋の看板のかかった玄関の戸を開け、恐ろしいほど急な階段で二階に上がる。少し暗い御勝手の脇の小さなテーブルに二人で向き合い、昔話に延々と耳を傾けた時間。お座敷帰りに、その手を取ってご自宅まで一緒に歩いた時間。ご贔屓のお店でご飯やコーヒーをご馳走になった時間――。

ゆう子姐さんと過ごしたさまざまな場面、たくさんの時間を、今私は、この上なくいとおしく思う。

*ゆう子(本名・菊池文)さんの本葬は、2月28日午後2時~ 浅草三業会館(浅草見番 。台東区浅草3-33-5 )にて執り行われる。

©sumi asahara