<東京・浅草>現役最高齢芸者・96歳ゆう子さんを偲ぶ②

●何度も繰り返し話すことの意味

2016年三社祭のお座敷にて。「あやめ」組のゆう子さん


2019年2月20日夜、現役最高齢芸者・浅草のゆう子さんが亡くなった。大正12(1923)年生まれ。享年96歳。
*ゆう子(本名・菊池文)さんの本葬は、2月28日午後2時~ 浅草三業会館(浅草見番 。台東区浅草3-33-5 )にて執り行われる。

私が ゆう子さんを取材した回数は 、正式な「インタビュー」として録音したケースに限れば、平成13年から約10回を数える。雑誌の仕事としてのインタビューもあれば、「発表する当てはないが、とにかく昔の話を聞かせてほしい」と見番を通して頼み込んでの自主取材もあった。

何度も何度も、繰り返し出てくる話がある。口に出す回数の多さは、ゆう子さんにとっての、その出来事の重要性と比例するのだと思う。こうして一度や二度の取材ではわからないゆう子さんの歴史の「層」が、なんとなく見えてくるような気がした。

平成23(2011)年4月に開催された「浅草ゆう子さんの米寿を祝う会」に寄せた拙文からは、そんなゆう子さんの「層」の厚い部分を読み取っていただけるかもしれない。あらためて、ここに全文を披露したい。

●「浅草ゆう子さん米寿を祝う会」に寄せて)

〝日本の宝〟浅草芸者ゆう子姐さん「よくぞ芸者に生まれけり」

平成23年4月24日 文・浅原須美

「あたし、芸者になる」――。十三歳の文が言ったとき、年の離れた兄たちは「ふみちゃん、そんなこと言うなよ、ちゃんとお嫁に行ったほうがいいよ」と必死に止めた。母は「芸があれば一流の芸者になれる。この子は芸者になったほうがいい」と背中を押した。 

 根っからの踊り好きは、芸人で端唄師匠の母親ゆずり。本所・常磐座の舞台に立ち、母の弾き語りで踊る三歳の文はたちまち人気者となり、客席から「よっ!ちび助!」と声が飛んだ。そんな娘を日本舞踊の師匠に弟子入りさせようにも、着物の掛かりが半端な額ではない。「困ったな、この子はこんなに踊りが好きなのに……」。父がふともらした言葉を聞いて文の口から出たのが、冒頭の言葉だった。

妹にふつうの人生を望んだ兄も、娘に大好きな芸に生きる道を開こうとした両親も、根元にあるのは同じ、文の幸せを強く願う気持ちだ。生まれ育った長屋でのこの光景を、文――のちの浅草芸者・ゆう子姐さんは、七十五年たった今も忘れられずにいる。

仕込みっ子時代から、芸事に賭ける意気込みは並大抵ではなかった。置屋「菊の家」の姉芸者に、ふみちゃんは三味線ばっかり弾いているから小言をいう暇もない、と苦笑いをされるほど。「私、おへちゃでちびっ子だったでしょ、芸が出来なかったら売れないって、自分でも承知してたからね。何でも、やる以上は少しでも上にいけるよう徹底してやる。ただ漫然とお稽古はしないわよ」

十六で唄うたいの芸者で出たとき、浅草には三百人もの芸者がいた。お座敷で唄う機会は、ただ待っていても巡って来ない。四丁四枚(四人の三味線引きと四人の唄うたい)のお姐さんたちが並ぶと、自ら〝五枚目〟にちょこんと座り、一緒に唄いながら覚えていった。こうして年を重ね十九にもなれば、いっぱしの芸者だ。「生意気でね、お酒も強かったのよ。お客様が、飲ませると面白いからって、大きな朱塗りの盃洗にお酒をなみなみ注ぐの。悔しいから一気に飲んだけど、お座敷では意地でも倒れないわよ。家に入ったとたんに玄関でごろっと寝ちゃった」。――いつの時代も、売れる芸者は負けず嫌いだ。

花柳界は、料亭、置屋、見番、お客さんも含めて一つの家族といえるかもしれない。色気を超越した、親子、姉妹、兄弟、親戚のような気の置けない信頼関係で成り立つ世界だ。ゆう子姐さんは、自ら飛び込んだ花柳界という大家族の中で、居場所を見つけて根を下ろし、人生を切り開き、こんなにも長い間、愛され続けてきた。

「一生懸命お座敷を勤めて、お客様が、今日は楽しかった、ありがとうって言ってくださると、うれしくなっちゃう。〝よくぞ芸者に生まれけり〟って思うわよ。この次生まれても、私は絶対に芸者よ、浅草の」

八十八歳にして後ろを振り返らず、「いつでも今がいちばん。いつでもこれからが楽しみ。私はとっても前向きな女なのよ」と言い切る、日本最高齢の現役芸者。

ゆう子姐さんを浅草の宝と呼ぶ人がいるが、それは間違っている。なぜならゆうこ姐さんは、日本の宝だからである。

(平成23年4月24日)

【浅草ゆう子】本名・菊池文

大正12年2月4日、東京本所生まれ。数えの十三歳で浅草の置屋「菊の家」に奉公に上がり、三年間の仕込みを経て十六歳で芸者に。昭和二十七年に独立し、「新菊の家」を開く。浅草をどり「浅茅会」では長年、清元の立唄として重要な役割を果たし、「三味線駒次・浄瑠璃ゆう子」のコンビは一時代を築いた。小唄、清元、宮薗、荻江、大和楽名取。小唄師匠。平成十三年度優良芸妓顕彰。現在、花街伝統芸能継承師範。東京浅草組合理事。

 

©sumi asahara