<全国花街>駆け足で振り返る、私の2015年花柳界③9~12月 金沢・東京・釜石・盛岡

<9月>

<石川・金沢> 「第12回 北陸新幹線開業記念 金沢おどり」観賞 (石川県立音楽堂邦楽ホール)

2015 第12回金沢おどりプログラム
2015 第12回金沢おどりプログラム

<石川・金沢>行ってきました「金沢おどり」。

<10月>

●<東京花街> 「全国芽生会連合会全国大会 東京大会2015」参加(セルリアンタワー邦楽堂)

<東京・全体> 東京芸者はやっぱり〝奴さんだよっ!〟

2日目、新橋の料亭「金田中」で行われたエクスカーション「名亭顔見世の宴」は、東京の五つの花街(新橋・赤坂・芳町・神楽坂・浅草 *向島には芽生会会員店が無い)の芸者衆が合同で一つ座敷を務めるという花柳界史上初めての画期的な宴会だった。そもそも花柳界は、一つ一つが独立した街(廓)で、横の交流は、芸事の師匠や共通のお客を介してのつながりなど限られたものだった。芸者衆は、馴染み客に連れられて〝お客〟としてよそ土地を訪れることはあっても、花街の垣根を飛び越えてよそ土地の料亭で仕事をするなど、ありえないことだったのである。芸者衆が他の花柳界を〝よそ土地〟と呼ぶ言い方には、自所と他所とを区別するけじめと、自所への誇りが感じられる。

しかし、時代は変わった。今や、東京全体合わせても芸者数は約250人、料亭は50軒ほど。全盛時代の一花街の規模に遠く及ばない。芸者衆の仕事場(出先の料亭)は減っていく、地方(じかた=演奏者)の芸者衆が足りない……これらの共通の問題をクリアするために、花街の垣根を取り払わないまでもいざというとき飛び越えやすいよう低くしておこう、との思惑が今回の企画にはあるはずだ。これからの東京花柳界の一つの方向性、「東京花柳界」としてのまとまりへの一つの布石だ。

新橋と赤坂・2トップ共演
新橋と赤坂・2トップ共演

●<東京・新橋> 「第50回なでしこ会 大会」(銀座ブロッサム中央会館) 次世代の東をどりのスターを育てる「なでしこ会」は、新橋の若手芸者の晴れ舞台だ。清元、哥沢、長唄、常磐津の代表的な曲を衣裳をつけて踊る。一人一人の舞踊を集中して観賞できる正統派の舞台という感じを受けた。こういう会に何度も足を運べば舞踊を見る目も徐々に身につくのだろう。

●<東京・神楽坂> 「花みずか会」観賞 (神楽坂劇場)

<東京・神楽坂> 若手を支える神楽坂の底力。「花みずか会」開催

<11月>

●<東京花街> 「大江戸寄席と花街のおどり その五」観賞 (東京国際フォーラムC)。10月の芽生会東京大会に引き続き、東京各花街の芸者衆が合同で登場する舞台。お稽古や本舞台でよそ土地の芸者衆と顔を合わせる機会が増えれば、人的つながりも太くなりいざというときのタッグも組みやすくなる。フィナーレの六花街勢揃い「奴さん」の前には、狂言回しの幇間・櫻川七助さんと三味線の三葉姐さん(新橋)のリードで、客席が「エエ~、やっこさ~ん。どち~ら~ゆ~く。ハアコリャコリャ。旦那お迎えに~い~い、さて~も、寒いのに~供揃い~」と唄の出だしのお稽古。その唄に合わせて芸者衆が踊る――〝自慢の小唄で芸者衆が踊る〟粋な旦那衆気分の片鱗を味わえた気がした。2年前、新橋の料亭・金田中の若旦那が「お客さんを巻き込みたい。〝奴さん〟を、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団・ニューイヤーコンサートの〝ラデツキー行進曲〟にしたい」と語っていたのを思い出す。「ALL TOKYO」と「お客さん参加型」――今後の東京花柳界のあり方を考えたとき、軸になるであろう二つの方向性を体現したイベントだといえる。

大江戸寄席と花街のおどり その五
大江戸寄席と花街のおどり その五
大江戸寄席と花街のおどり プログラム
大江戸寄席と花街のおどり プログラム

大江戸プロ2

大江戸プロ3

●<東京・新橋> 「第146回菊香会」観賞

●<東京・向島> 向島芸妓の勉強会 観賞(向嶋墨堤組合)。平日の日中にもかかわらず会場は満員。各花街で開かれるこのような若手の勉強会は、ベテランの芸者衆とご贔屓のお客さんの支えで成り立っている。稽古に一生懸命な若手芸者は誰もが応援したくなる。

向嶋墨堤組合
向嶋墨堤組合
勉強会プログラム
勉強会プログラム

●<東京・浅草> 秋のお座敷遊び 悠游亭 参加(浅草見番)。悠游亭始まって以来の大盛況。今回は、芸者衆に負けず劣らず幇間衆(たいこもち)の新たな芸が冴え、会場を大いに沸かせていた。酒量も進む中、正直なところストーリーはよくわからなかったのだが(そもそも酒席の芸なのだからそんなものだろう……)、その場その場が面白くて笑った笑った。とくに悠玄亭玉八師匠扮する芸者「玉奴」のインパクトは強烈で、夢に出てきそうだった。入門者が相次ぎ、7人まで増えた幇間衆。若手が増えれば「浅草たいこもち組」として可能性も広がる。彼ら(彼女1名を含む)は間違いなく浅草花柳界の貴重な名物。今後の芸の広がりと深まりが楽しみだ。「幇間衆+芸者衆」の混合組で何かやるのも面白いのでは?

左から、玉八師匠、米七師匠、七太郎さん
左から、玉八師匠、米七師匠、七太郎さん

<12月>

●<岩手・釜石> 最後の釜石芸者・艶子さんに会いに行く。東日本大震災の被災者で最後の釜石芸者・艶子さん(舞踊家名 藤間千雅乃さん)と八王子芸者衆とのつながりに仲間入りさせていただいて4年。以来、有志で艶子さんに会いに釜石に行く会「つやちゃん会」を毎年続けている。去年の様子はこちら。(*「つながり」の経緯は下の記事を参照)

㈳日本調理師会会報誌「にっちょう」2012 no4より
㈳日本調理師会会報誌「にっちょう」2012 no4より

<岩手・盛岡> 盛岡芸者・てる子さんと富勇さんに会う。盛岡芸者は現在7名。戦後の最盛期を経験してきた5人のベテラン芸者(てる子さんもその一人)と、若手の2人(富勇さんととも千代さん)だ。2人は、盛岡市が国の基金を活用して取り組んだ「盛岡芸妓の伝統芸継承のための人材育成プロジェクト」に応募。平成24年にお披露目を果たし、しばらく「雇用」の形態で芸者の仕事を続けてきたが、27年4月に2人そろって独立。お姐さん芸者と同じように、実力勝負の一人立ちを果たした。彼女たちの後に続けと、現在、「ひよ妓(ひよこ)」さんの名称で、19歳と23歳の2人が見習い中だという。これらのバックアップ事業の主体は平成24年に設立された「盛岡芸妓後援会」(盛岡商工会議所内)。充実のHPは一読の価値あり、である。

盛岡芸妓後援会発行「盛岡芸妓ものがたり」
盛岡芸妓後援会発行「盛岡芸妓ものがたり」

出先の料亭は3軒だが、一般の人々も参加しやすいイベントもさまざま企画しており、富勇さんブログとも千代さんブログ、等で盛岡花街情報を積極的に発信中だ。

てる子姐さんと富勇さんが、「次は絶対に泊まり出来てください。一緒に伝説のバー〝ドガ〟に行きましょう!」と強くすすめてくれた。盛岡花街を描いた名著『ひだりづま 盛岡芸者いまむかし』(及川和哉著)の中で、「八幡町の裏通りにDという小さな酒場がある。お座敷帰りの芸者衆がちょくちょく立ち寄る店の一つで、あで姿にお目にかかることが出来る」と紹介されている「D」=ドガだ。てる子姐さん曰く「古いお店で、私もしょっちゅう、二次会、三次会で行ったんだもの。流行ったんだよー」。富勇さん曰く「生きた(花柳界)情報が残っている店なので」。来年は、花街イベントに合わせて泊まりで盛岡に行こう。もちろん、夜はドガへ!

*富勇さんが「花巻温泉芸妓組合に新人芸者・すみ香さんデビュー」を報じた岩手日報(12月12日)を下さった。そこには、元小学校副校長だった女性が東日本大震災の経験を機に一念発起して芸者になった感動のストーリーが……。今度じっくり話を聞いてみたい。

てる子さん(左)と富勇さん
てる子さん(左)と富勇さん

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