「<全国花柳界>取材記」カテゴリーアーカイブ

<北海道・小樽> 小樽最後の芸者・喜久さんを想う➃。「おたるむかし茶屋」で毎晩、何を思う

喜久さんを想う➂より続く

●目にもとまらぬ速さで受話器を取る

「おたるむかし茶屋」(2010年撮影)

喜久さんとは不思議と年賀状のやりとりが続いた。必ずひと言、「たまにはお顔見せてください」「お会いしたいですね」「お立ち寄りください」などと書き添えてある。が、小樽は遠い。

たまに電話をかけると、ベル音が鳴ったか鳴らないかくらいの驚くべき速さで「もしもし」と元気な声が聞こえる。いつかけても、必ずそうだった。「電話に出るの、速いねー」「そお? ひまだからさ」。「お客さんは?」「来なくていいんだ、昔さんざん働いたから」。何度、同じやり取りを繰り返しただろうか。

初対面から11年後の平成22年、再び「おたるむかし茶屋」を訪れるチャンスがやって来た。 続きを読む <北海道・小樽> 小樽最後の芸者・喜久さんを想う➃。「おたるむかし茶屋」で毎晩、何を思う

<北海道・小樽> 小樽最後の芸者・喜久さんを想う➂。「海陽亭」に刻まれた歴史と栄華

喜久さんを想う②より続く

●華やかなりし名料亭――北の迎賓館「海陽亭」

海陽亭玄関(2011年撮影)

喜久さんの昔話に頻繁に登場する料亭が、明治創業の「海陽亭(かいようてい)」だ。小樽港を見下ろす高台に建つ木造二階建ての建物は昭和60年に小樽市の歴史的建造物に指定され、平成27年まで冬場を除き営業を続けた。

小樽の繁栄を象徴する建物であり、明治39年に小樽で行われた日露戦争後の樺太国境画定会議の後、両国の軍人など約60名が集まり大広間で大宴会が開かれるなど、「北の迎賓館」としての役割を果たし続けた。 続きを読む <北海道・小樽> 小樽最後の芸者・喜久さんを想う➂。「海陽亭」に刻まれた歴史と栄華

<北海道・小樽> 小樽最後の芸者・喜久さんを想う②。「北のウォール街」で栄えた花街

喜久さんを想う➀より続く。

●JR函館線ガード下で聞いた、小樽芸者のむかし話

小樽駅全景(2011年撮影)

「おたるむかし茶屋」を初めて訪れたときのことはよく覚えている。平成11年、今のうちに戦前の花柳界を知る高齢芸者の話を聞いておこうと思い立ち、以前から気になっていた喜久さんに会いに就航直後のエアDOで北海道に飛んだ。

三月初めの小樽は、まだ真冬の荒天続き。1メートル先も見えない猛吹雪に遭遇し、私は生まれてはじめて(しかも町なかで)遭難の危険を感じた。 続きを読む <北海道・小樽> 小樽最後の芸者・喜久さんを想う②。「北のウォール街」で栄えた花街

<北海道・小樽> 小樽最後の芸者・喜久さんを想う➀。「芸者になんて、もうなりたくない」。

●2017年10月、小樽最後の芸者逝く

小樽在住の知り合いから、小樽芸者・喜久さんの訃報が届いたのは、2017年10月22日のことだった。何度も足を運んだ「おたるむかし茶屋」の店内と、喜久さんの姿がありありと思い出された。

●「芸者になんて、もうなりたくない」と言った人

「おたるむかし茶屋」(2010年撮影)

わきまえ、奥床しさ、つつましさといった「芸者」から私が連想する単語を書き並べていると、頭に浮かんでくる北の光景がある。小樽駅から歩いて約10分、花園町にある和風小料理屋「おたるむかし茶屋」のカウンター内で、ひとり目をつぶり、正座をしてラジオを聞いている小樽芸者の喜久さんだ。

喜久さんは大正13年生まれ。戦前の花柳界を知る各地の高齢の芸者衆の話と姿を記録する仕事の中で、「生まれ変わっても芸者になりたいか」との質問に、ただ一人はっきりと「芸者なんて、もうなりたくない」と答えた人だった。 続きを読む <北海道・小樽> 小樽最後の芸者・喜久さんを想う➀。「芸者になんて、もうなりたくない」。

<東京・立川> 映画『フクシマ・モナムール』特別上映会・トークイベント開催 

釜石最後の芸者と八王子芸妓との縁をヒントに作られたドイツ映画。一日限りの特別上映会、ついに決定。

https://yukinoe-event.peatix.com/

●映画『フクシマ・モナムール』特別上映会・スペシャルトーク (立川シネマシティ)

10月28日(日)15時~、18時~ の2回上映

東日本大震災被災者で釜石最後の芸者・艶子さんと、八王子芸妓めぐみさんのつながりをヒントに、ドイツ人監督が描いた『フクシマ・モナムール』の、1日限りの特別上映会です。

桃井かおりさん出演。八王子芸妓のめぐみさん、菜乃佳さん、くるみさんも出演しています。

釜石にも同行し、二人の関係を間近で見続けて来た浅原と、めぐみさんのスペシャルトークも一緒にお楽しみください。

詳細、申し込みはこちらから。

https://yukinoe-event.peatix.com/

*艶子さんとめぐみさん、八王子芸妓のつながりは、以下で詳しく紹介してあります。参照ください。 続きを読む <東京・立川> 映画『フクシマ・モナムール』特別上映会・トークイベント開催 

<高知>土佐芸妓とお座敷遊び。「しばてん踊り」「可盃」

高知ならではのお座敷遊び

高知の料亭「濱長」

お座敷遊びは地方色豊かだ。先日、初めて高知の料亭「濱長」を訪れ、高知ならではのお座敷を体験してきた。

見番がなくなって以来(年代は確認できず)、高知の芸妓は各料亭の内芸妓として続いていたが、徐々に人数も減り、平成13年に濱長が一旦閉店したと同時に芸妓衆も途絶えたという。

平成19年、濱長が営業を再開することになり、どうせなら消えゆく土佐のお座敷文化を復活させようと、芸妓衆を一般募集。琴魚(きんぎょ)さん、そしてかつをさんがお披露目を果たし、土佐芸妓の歴史を再び創り上げるべく一歩を踏み出した。

現在、高知の芸妓は濱長の内芸妓である琴魚さん、かつをさんと、見習いの舞妓さん1人。濱長には他に、芸妓ではないが三味線・唄、踊りの出来る女性もいて、最大5~6人で舞台をつとめるるという。

●コの字型の各お座敷から眺める舞台

舞台の踊りを「八重松」の間から楽しむ

少ない芸妓でのおもてなしを、個室の良さを保ちつつ、いかに多くのお客さまに楽しんでいただくか――その答えが2階の造りにあった。真ん中に舞台、それをコの字型に取り囲む6つのお座敷。頃合いを見計らって仕切り戸をオープンにすれば、フロア全体が、真ん中に舞台を設えた大広間のようになるのだ。

同じ日にお座敷を持ったのも何かの縁。よそのお座敷の知らない者同士のお客さんも一緒に、芸妓衆の踊りを楽しみ、舞台に上がって踊ったり。(3階には完全個室もあり)

●「しばてん踊り」と「可盃(べくはい)」

「しばてん踊り」後の記念撮影

「しばてん」とは芝の葉を頭にかぶった天狗で、相撲を取るのが大好きな土佐の妖怪だという。各部屋から数人が舞台に上がり、しばてん手拭いをかぶって、「しばてん音頭」に合わせて見よう見まねの「しばてん踊り」。顔が隠れるので恥ずかしさも半減し、忘れられない愉快な思い出に。

可盃。天狗、ひょっとこ、おかめの盃と、コマ

その後は、お座敷で「可盃(べくはい)」。陶器のコマを、「べろべろの神様は正直な神様よ、<飲んべ>のほうへとおもむきゃね おもむきゃね」と唄いながら、お盆の上で回す。コマの先が向いた人が、コマの示した図柄の盃で、お酒を飲み干す、というもの。<飲んべ>の代わりに、いろいろな言葉を入れれば、不思議とぴったりな人を指すので、大盛り上がりだ。

●5月のGWには土佐おどりも開催

「土佐をどり」濱長パンフレットより

2011年、東日本大震災の年から始めた濱長最大の舞の祭典「土佐をどり」は5月2日~5日。全7公演開催する。屋形船や、大盃を一気に飲み干す「赤岡どろめ祭り」参加など、土佐芸妓は出来ることは何でもやる!と前向きだ。「とにかく仲間を増やしたい。人数が多くなればそれだけ出来ることも増える」(かつをさん)と、芸妓大募集中だ。

©sumiasahara

 

<東京・八王子> ドイツ映画『フクシマ・モナムール』が表現した〝芸者の強さ〟

桃井かおりさんに、釜石芸者・艶子さんが重なった

上映後舞台に上がった関係者たち。着物姿の女性が、ユキ役を演じた八王子芸者の菜乃佳さん。
上映後舞台に上がった関係者。着物姿の女性が、ユキ役が好評だった八王子芸者の菜乃佳さん。その左が桃井かおりさんとドリス・デリエ監督’(2016.10.15)

今年(2016年)2月、第66回ベルリン国際映画祭でパノラマ部門の優れたドイツ映画に贈られる「ハイナー・カーロウ賞」を受賞した『フクシマ・モナムール』が、10月15日、やっと日本で上映された(ドイツ映画祭2016。TOHOシネマズ六本木ヒルズ)。

主演の桃井かおりさん演じる芸者・サトミのモデルとなったのが、東日本大震災で被災した最後の釜石芸者・艶子さんだ。ドリス・デリエ監督は、震災をきっかけに艶子さんと八王子芸者衆の間に生まれたつながりの実話をヒントにこの映画を作ったという。(両者の縁のいきさつは、当サイトの「<岩手・釜石>追悼 最後の釜石芸者・艶子さん①~③」を参照)。 続きを読む <東京・八王子> ドイツ映画『フクシマ・モナムール』が表現した〝芸者の強さ〟

<京都・上七軒>名妓・勝喜代さん②。西陣で栄えた花街に生まれて

元芸妓の母、西陣の父の反対を押し切って

第59回北野をどりプログラム(平成23年)。
第59回北野をどりプログラム(平成23年)。

●華やかな祇園、しっとり落ち着く上七軒

上七軒は京都五花街の中でも最古といわれ、菅原道真公を祀る北野天満宮の近くに位置する花街だ。この少し珍しい名前は、室町時代、火事で一部を焼失した北野社(現在の北野天満宮)の修造作業中に残った材料で、七軒のお茶屋が建ったことに由来し、花街として成立したのは江戸時代初期と伝えられている。 続きを読む <京都・上七軒>名妓・勝喜代さん②。西陣で栄えた花街に生まれて

<京都・上七軒> 名妓・勝喜代さん①。お座敷で生まれる〝持ち芸〟

流行歌に合わせて即興で踊る名人芸

芸者影22

●浅草の元芸者・富千代さんの数々の持ち芸

芸者の芸には〝〇〇姐さんの持ち芸〟ともいうべき個人的な芸がある。一代限りで消えていくものも多く、師匠から弟子へ、先輩から後輩へ受け継がれる伝統芸能とは異なる究極のお座敷芸だ。常連客との気の置けない小座敷でこそ活きる芸、舞踊家には望むべくもない芸であり、お座敷遊びの醍醐味の最たるものといえるかもしれない。 続きを読む <京都・上七軒> 名妓・勝喜代さん①。お座敷で生まれる〝持ち芸〟