「<東京花柳界>取材記」カテゴリーアーカイブ

<東京・八王子> ドイツ映画『フクシマ・モナムール』が表現した〝芸者の強さ〟

桃井かおりさんに、釜石芸者・艶子さんが重なった

上映後舞台に上がった関係者たち。着物姿の女性が、ユキ役を演じた八王子芸者の菜乃佳さん。
上映後舞台に上がった関係者。着物姿の女性が、ユキ役が好評だった八王子芸者の菜乃佳さん。その左が桃井かおりさんとドリス・デリエ監督’(2016.10.15)

今年(2016年)2月、第66回ベルリン国際映画祭でパノラマ部門の優れたドイツ映画に贈られる「ハイナー・カーロウ賞」を受賞した『フクシマ・モナムール』が、10月15日、やっと日本で上映された(ドイツ映画祭2016。TOHOシネマズ六本木ヒルズ)。

主演の桃井かおりさん演じる芸者・サトミのモデルとなったのが、東日本大震災で被災した最後の釜石芸者・艶子さんだ。ドリス・デリエ監督は、震災をきっかけに艶子さんと八王子芸者衆の間に生まれたつながりの実話をヒントにこの映画を作ったという。(両者の縁のいきさつは、当サイトの「<岩手・釜石>追悼 最後の釜石芸者・艶子さん①~③」を参照)。 続きを読む <東京・八王子> ドイツ映画『フクシマ・モナムール』が表現した〝芸者の強さ〟

<東京・八王子>市議会議場コンサートに芸者衆参加

八王子市議会本会議場に、芸者衆が舞った

平成28年第3回市議会定例会議場コンサート
平成28年第3回市議会定例会議場コンサート

八王子市議会では、「市民に開かれた議会を目指し、活性化を図るため」、毎年4回行われる定例会の初日に約20分の議場コンサートを開催し、一般公開しています。今までに、コーラス、バイオリン、ギター、吹奏楽、筝曲、篠笛など八王子市在住・在勤・在学の団体・個人が演奏を披露してきました。 続きを読む <東京・八王子>市議会議場コンサートに芸者衆参加

<東京・日本橋>『東京人』に執筆した日本橋花柳界の記事がサイトに掲載

ウェブサイト「東京街人」(TOKYO GUIDE)に掲載

「東京人」7月増刊 八重洲・日本橋・京橋を楽しむ本104~109ページ
「東京人」7月増刊 八重洲・日本橋・京橋を楽しむ本104~109ページ

 

東京建物株式会社が管理・運営しているサイト『東京街人』=TOKYO GUIDEに、『東京人』2016年7月増刊号で取材・執筆した記事が掲載されました。

タイトルは「江戸の真ン中に一流芸者あり――日本橋花柳界が華やいだころ」 続きを読む <東京・日本橋>『東京人』に執筆した日本橋花柳界の記事がサイトに掲載

<東京・日本橋> 「日本橋花柳界が華やいだころ」(『東京人』7月増刊)を執筆しました。

古き良き戦前の「日本橋花柳界」。貴重な証言を取材

『東京人』2016年7月増刊 八重洲・日本橋・京橋を楽しむ本 
『東京人』2016年7月増刊 八重洲・日本橋・京橋を楽しむ本

●東京駅八重洲口――かつての「檜物町」に花柳界があった

花柳章太郎の出世作となった新派の舞台『日本橋』(泉鏡花原作)でも有名な日本橋花柳界。江戸時代の文化文政期(1804~30)にはすでに栄えていたとされる、東京の中でも古い花街だ。

現在の住所でいえば、東京都中央区八重洲一丁目。東京駅八重洲中央口を出て立ち、左前方を見る。外堀通りを挟んで大丸百貨店の向かい側一帯が、その昔、日本橋花柳界のあった場所である。 続きを読む <東京・日本橋> 「日本橋花柳界が華やいだころ」(『東京人』7月増刊)を執筆しました。

<東京・浅草> 2016三社祭「くみ踊り」。街もお座敷も晴天なり。

雨がつきもののお祭り。「今年は降らなかったね……」。

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●三社祭は、水に縁ある「浅草神社」の例大祭

三社祭には雨がつきもの……これは浅草の人々の〝常識〟だ。といっても単なる統計学的な確率ではなく、三社祭の由来にまつわる由緒正しい理由がある。 続きを読む <東京・浅草> 2016三社祭「くみ踊り」。街もお座敷も晴天なり。

<東京・八王子> ついにお披露目。50数年ぶりの半玉・くるみさん18歳

花街に〝半玉さんが誕生した〟ことの大きな意味

くるみさんお披露目の手拭い、団扇、くるみ糖(京都・老松)
くるみさんお披露目の手拭い、団扇、くるみ糖

●なぜ、長い間、半玉が出なかったのか

東京・八王子花柳界で半世紀ぶりに半玉(はんぎょく。京都の舞妓にあたる。「お酌」ともいう)が誕生した。置屋ゆき乃恵のくるみさんだ。ベテラン芸者・竹千代姐さんによると、「昔、さざえさんという半玉さんがいましたが、私が出たとき(昭和38年)にはすでに赤坂に移っていました。それ以来半玉さんは出ていません」――。つまり、少なくとも53,4年、八王子に半玉さんはいなかったことになる。

『松づくし』を踊るくるみさん(2016.5.11「八王子黒塀に親しむ会」総会にて)
『松づくし』を踊るくるみさん(2016.5.11「八王子黒塀に親しむ会」総会にて)

〝久しぶりの半玉〟で思い出すのは、新橋花柳界で2008年にお披露目をした菊森川のきみ鶴さん(現在は一本)だ。実に65年ぶり、戦後初の半玉さんだった。なぜこれほど長い間、半玉が生まれなかったのだろうか――。

半玉とは一人前の芸者(一本)になる前の、いわば子どもの芸者で、戦前、玉代が一本の半分だったことからこう呼ばれた。戦前、置屋の家娘(いわゆるお嬢さん芸者)は数えの14歳で半玉になり、17歳前後で一本になるのがごく一般的な育てられ方だった。着物も帯も簪も一流品。一本の芸者姿に比べ派手で豪華な仕度には相当のお金がかかるため、借金の形に置屋に奉公に上がった抱えの芸者は、その姿に憧れながら、半玉で出させてもらうことはよほどの美人でもない限り、稀であったと聞く。

肩上げをした振袖の着物、桃割れの髪に派手な簪――半玉特有の姿は子どもの可愛らしさを最大限に引き立たせるものだ。一方でこのことが、「お座敷に出られるのは18歳以上」と法律改定された戦後の東京で、半玉を出しにくい理由の一つにもなった(京都の舞妓は15歳で出られる)。まして今の時代、大学を卒業後、あるいはOLから転職して芸者になるケースも珍しくなく、デビューの年齢は20代が中心だ。半玉で出すのは年齢的に難しいという現実がある。

とはいえ、半玉が町なかを歩く姿は人目を引き、そこが花街であることを強烈にアピールする。また、「半玉がいるとお座敷が華やかになる」と料亭のお客さんも喜ぶ。半玉は、花街の存在を際立たせ、花街の勢いを象徴するシンボルなのである。現在では、仕度は大がかりになっても、十代ならば(小柄で童顔ならば20歳過ぎても……)半玉で出そうという方針の置屋が少なくない。半玉とは、花街においてこのような存在であり、そのお披露目は一本のお披露目に増して話題になることが多いといえる。

●「八王子黒塀に親しむ会」の歴史とくるみさんの成長

お披露目に先駆け、4月27日に高尾山薬王院(八王子市)に、ゆき乃恵の芸者衆と共に参拝。
お披露目に先駆けて4月27日、高尾山薬王院(八王子市)に、ゆき乃恵の芸者衆と共に参拝。

小学生のころから日本舞踊を習っていたくるみさんは中学卒業後、舞踊を仕事にしたいと、高校には進学せず置屋に住み込みで芸者修業の道へ進んだ。お茶、三味線、踊りの稽古に、イベントでの踊りや仲居さんの手伝いなど忙しい見習い生活を続けて2年。4月25日に18歳の誕生日を迎え、晴れて芸者デビューを果たしたのである。

5月11日、花柳界の応援組織「八王子黒塀に親しむ会」総会において、くるみさんデビューを祝う会が開かれ、私も足を運んだ。同じテーブルには、くるみさんの祖母、母、姉のご家族も。「最初はまったく知らない世界なので心配でしたが、めぐみさんにお会いして、このかたのところなら、と安心しました。あの子は根性はあるし負けず嫌いなので、きっとがんばれると思います」(お母さん)。大丈夫だ。私の知る限り、昔も今も、売れっ子芸者は負けず嫌いだ。

八王子花柳界の灯を消すまいと、地元商工会議所を中心に「八王子黒塀に親しむ会」が発足したのは平成11年。当時、くるみさんは1歳の赤ちゃんだった。18歳になり百数十人の会員の前で堂々と『松づくし』を踊るくるみさんの姿と、「親しむ会」が積み上げてきた17年間の歴史が重なった。

総会中に、会場じゅうがどよめく楽しいハプニングが……。なんと、鶴瓶師匠がNHKの番組『鶴瓶の家族に乾杯』のロケ隊と共に、突然、会場に現れたのである。ロケで八王子を歩いている途中に、たまたま見番を見つけ、たまたまくるみさんのお披露目を知り、やって来たのだという。放送は6月20日とのこと。おたのしみに!

「八王子に花柳界があるとは始めて知りました!」と師匠
「八王子に花柳界がある事を初めて知りました!」と師匠

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<東京・赤坂>開花した桜の下で「赤坂をどり」華やかに

浅草芸者を遠出でお迎え。〝サカスお座敷〟大盛況。

2016赤坂をどりポスターと育子さんの写真
赤坂をどりポスターと育子さんの写真

●猩々に飛脚にお七、小唄に端唄――。今年も賑やかに

赤坂芸者と聞くといつも思い出すのが、「花で言うなら、新橋が菖蒲、柳橋が水仙で、赤坂は牡丹」――大正時代の赤坂芸者が残したこの言葉だ。拙著『東京六花街』の取材で新橋との違いを尋ねたとき、赤坂芸者の育子さん(現・赤坂芸妓組合長)が「着物の色目や柄、帯の結び方や着方が違うということがあります。地味派手で言ったら、新橋さんの方が地味で、赤坂のほうが派手。性格的に言えば、新橋さんは落ち着いた姉で、赤坂はおっちょこちょいな妹みたいな感じ」と笑ったのがとても印象的だった。たしかに、赤坂芸者衆の特徴は?と聞かれたら、〝牡丹のように華やか〟という形容が最もふさわしいような気がする。

一足先に満開になった、赤坂サカスの枝垂桜
サカスの枝垂桜は一足先に満開に

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<東京・吉原>月刊誌「東京人」2016・4月号 江戸吉原特集 に執筆しました

「最後の吉原芸者が語る 昭和初期の不夜城。故・四代目みな子」。10年前の取材裏話

「東京人」2016.4月号 江戸吉原特集
「東京人」2016.4月号 江戸吉原特集

●浅草「むつみ」で海老しんじょうをつまみに飲みながら

最後の吉原芸者 故・四代目みな子さんに初めて独自取材をしたのは、亡くなる5年前の2005年。みな子姐さんは85歳だった。お酒(日本酒)が大好きで、みな子さん行きつけの浅草観音裏の釜飯「むつみ」には2回ほどご一緒したと思う。当時の取材記録を辿ると、「釜飯、お通し(みな子姐さん用の特別のお通し)、海老しんじょうをいただきながら、お酒(菊正)二合徳利を4,5本空ける」とメモがあった。「むつみ」の海老しんじょうは、みな子さんおすすめの名物料理だったことを思い出した。

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<岩手・釜石> 「フクシマ・モナムール」 ベルリン国際映画祭で「ハイナー・カーロウ賞」受賞

速報

東日本大震災で被災した釜石最後の芸者・艶子さんと八王子芸者衆の実際の交流をヒントに描かれたドイツ映画、「フクシマ・モナムール」(ドリス・デリエ監督。桃井かおりさん出演)が、第66回ベルリン国際映画祭で、パノラマ部門「ハイナー・カーロウ賞」を受賞しました。

 

 

<東京・八王子> 新春の宴で発見した〝美しき扇形〟

1月3日・八王子芸妓「新春の宴」で幕が開いた2016年

2016セレオ 新春の宴2 昨年から始まった、八王子駅ビルセレオ2階イベントスペースでの八王子芸妓「新春の宴」。テレビドラマの影響もあり予想以上の人出で、すでに椅子は満席、立ち見も多数。しかたなく、誠に失礼ながら3階の通路から芸者衆を見下ろす形になってしまった。しかし、初めてのアングルが意外な発見をもたらす……。扇形に広がる引き着の裾の、なんと美しいこと! 日本髪と裾のボリュームが絶妙のバランスではないか。 続きを読む <東京・八王子> 新春の宴で発見した〝美しき扇形〟