<東京・赤坂>開花した桜の下で「赤坂をどり」華やかに

浅草芸者を遠出でお迎え。〝サカスお座敷〟大盛況。

2016赤坂をどりポスターと育子さんの写真
赤坂をどりポスターと育子さんの写真

●猩々に飛脚にお七、小唄に端唄――。今年も賑やかに

赤坂芸者と聞くといつも思い出すのが、「花で言うなら、新橋が菖蒲、柳橋が水仙で、赤坂は牡丹」――大正時代の赤坂芸者が残したこの言葉だ。拙著『東京六花街』の取材で新橋との違いを尋ねたとき、赤坂芸者の育子さん(現・赤坂芸妓組合長)が「着物の色目や柄、帯の結び方や着方が違うということがあります。地味派手で言ったら、新橋さんの方が地味で、赤坂のほうが派手。性格的に言えば、新橋さんは落ち着いた姉で、赤坂はおっちょこちょいな妹みたいな感じ」と笑ったのがとても印象的だった。たしかに、赤坂芸者衆の特徴は?と聞かれたら、〝牡丹のように華やか〟という形容が最もふさわしいような気がする。

一足先に満開になった、赤坂サカスの枝垂桜
サカスの枝垂桜は一足先に満開に

東京の桜の開花宣言と重なった今年の「赤坂をどり」(平成28年3月20・21日。会場は赤坂サカス内のACTシアター)も、牡丹のように華やかだった。長唄「寿二人猩々」、新邦楽「恋の飛脚」。そして「紅蓮の恋 お七の正夢」は、「櫓のお七」を新しい構成で作り上げたもの。まるでお芝居を見ているような流れと、お七役・育子さんの迫真の舞踊に観客の目も心も惹きつけられた。「芸妓乃色彩」は「新曲あかさか」で始まり、春夏秋冬の小唄・端唄と続く。

そういえば去年の「赤坂をどり」では「咸臨太鼓」がとても印象的だった。金沢の「お座敷太鼓」もそうだが、太鼓の音を聞くと無条件に心が湧きたつ。赤坂ゆかりの咸臨太鼓を「赤坂をどり」毎回恒例の名物にする、という案はどうだろうか。*「咸臨太鼓」=1860年、勝海舟が咸臨丸で出航の際に奉じられたのが始まり。昭和30年代に新たに作調されて、現在は勝海舟屋敷跡にあった赤坂小学校=旧氷川小学校で受け継がれている。それを芸者衆が習い、舞台で披露した。「船が出るぞ~」の掛け声とともに威勢よく始まる(参考「平成27年 赤坂をどり」プログラム)。

●赤坂をどりの〝お座敷〟に、浅草芸者が招かれて

今回の新しい試みは、赤坂から招かれて、浅草から7人の芸者衆が〝遠出〟(よそ土地のお座敷に出向くことを遠出=とおで、という)と称して、舞台に登場したこと。「浅草まいり」「浅草ごよみ」「浅草名物」と浅草ならではの曲を披露。赤坂の桃太郎さんも唄に加わった。最後の総をどりは、赤坂・浅草両花街の芸者衆が舞台に勢ぞろい。人数の多さが力であることを感じさせた。

浅草花柳界主催の花街舞踊・「浅草おどり」の開催は、前回の平成24年からしばらく間が空いている。芸者衆にとって、花街舞踊の舞台に対する愛着と意気込みは、舞踊や邦楽の発表会とは異なる特別なものだという。今回の試みは、同じ東京の芸者衆同士、花街舞踊の舞台に立つ感動を分かち合えれば……との思いの実現なのかもしれない。各花柳界の規模が小さくなり、一つの街で毎年舞踊の会を開催するのが難しくなっている今、このように花街同士が垣根を越えてつながり、力を合わせて舞台に立つ機会は少しずつ増えている。芸者衆もお互いに刺激を受け、一つの舞台で二花街の芸者衆に出会える観客にとっては嬉しい限りだ。せっかく、それぞれに特徴の異なる花街の芸者衆が同じ舞台に立つのだから、1+1が2になるだけではもったいない。融合して化学反応を起こし、何か新しいものが生まれたらとても面白いと思う。

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