<東京・吉原>月刊誌「東京人」2016・4月号 江戸吉原特集 に執筆しました

「最後の吉原芸者が語る 昭和初期の不夜城。故・四代目みな子」。10年前の取材裏話

「東京人」2016.4月号 江戸吉原特集
「東京人」2016.4月号 江戸吉原特集

●浅草「むつみ」で海老しんじょうをつまみに飲みながら

最後の吉原芸者 故・四代目みな子さんに初めて独自取材をしたのは、亡くなる5年前の2005年。みな子姐さんは85歳だった。お酒(日本酒)が大好きで、みな子さん行きつけの浅草観音裏の釜飯「むつみ」には2回ほどご一緒したと思う。当時の取材記録を辿ると、「釜飯、お通し(みな子姐さん用の特別のお通し)、海老しんじょうをいただきながら、お酒(菊正)二合徳利を4,5本空ける」とメモがあった。「むつみ」の海老しんじょうは、みな子さんおすすめの名物料理だったことを思い出した。

朗らかで、人を笑わせるのが大好きで、何を聞いても大きな声で、言い淀むことなく返答してくれた。「ちゃんこ節」の替え唄など、とても文字にできないお座敷の色っぽい唄もたくさん教えてくれた中で、印象に残っているのは、「魚鳥木申すか」(うおとりき もうすか)という、二人で行う言葉遊びのゲームだ。

「魚鳥木申すか」「申す」「必ず申すか」「必ず申す」「きっと申すか」「きっと申す」「木!」「松。魚!」「鯛。鳥!」「鶴。魚!」「鰹。木!」「……」

というように、相手が指定したジャンル(魚か鳥か木)の名前を言い合い、言葉に詰まったり同じものを二度言ってしまったら負け、というものだ。「むつみ」で勝負したが、みな子姐さんには一度も勝てなかった。

「東京人」江戸吉原特集 2016.4月号 目次
「東京人」江戸吉原特集  目次2016.4月号

●浅草「スカイライン」でもお銚子を空けながら

翌2006年に会ったのは同じく浅草観音裏。みな子さん行きつけの「スカイライン」という洋食屋だった。待ち合わせはたしか12時か1時ころだったと思う。早めに伺ったのだが、すでにみな子さんは席についていて、なんとテーブルにはお銚子が立っているではないか……(洋食屋なのだがみな子さん用に特別に燗酒を置いていたのである)。

「おいしいのよ、昼間から飲むのは。飲みながら、食べながら話しましょ」「……あら、もうないわ、お酒もう1本、いや……もう2本ちょうだい!」――こんな調子で、空のお銚子が何本も並ぶという昼間の洋食屋らしからぬ光景に。このときの話題は「旦那さん」。よけいにお酒の進むテーマだったのかもしれない。

話を聞き終わったのは3時頃だっただろうか。「今日のお酒はもうおしまいですか?」と聞くと、「とーんでもない、夜の部がありますから。今のはほんの合いの手、やっと夜が明けたわ」。

みな子さんのもう一つの好物は、肉。「スカイライン」でいただいていたのは豚カツだったか、ステーキだったか、焼肉だったか、とにかく肉だった。「明日の昼間はカツ丼よ」。私の知る限り、80過ぎても元気な芸者さんは、たいてい肉好きだ。

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