<東京・八王子> ドイツ映画『フクシマ・モナムール』が表現した〝芸者の強さ〟

桃井かおりさんに、釜石芸者・艶子さんが重なった

上映後舞台に上がった関係者たち。着物姿の女性が、ユキ役を演じた八王子芸者の菜乃佳さん。
上映後舞台に上がった関係者。着物姿の女性が、ユキ役が好評だった八王子芸者の菜乃佳さん。その左が桃井かおりさんとドリス・デリエ監督’(2016.10.15)

今年(2016年)2月、第66回ベルリン国際映画祭でパノラマ部門の優れたドイツ映画に贈られる「ハイナー・カーロウ賞」を受賞した『フクシマ・モナムール』が、10月15日、やっと日本で上映された(ドイツ映画祭2016。TOHOシネマズ六本木ヒルズ)。

主演の桃井かおりさん演じる芸者・サトミのモデルとなったのが、東日本大震災で被災した最後の釜石芸者・艶子さんだ。ドリス・デリエ監督は、震災をきっかけに艶子さんと八王子芸者衆の間に生まれたつながりの実話をヒントにこの映画を作ったという。(両者の縁のいきさつは、当サイトの「<岩手・釜石>追悼 最後の釜石芸者・艶子さん①~③」を参照)。

震災直後の2011年6月と7月に、めぐみさんら八王子の芸者衆が(映画の中にも登場する)『釜石浜唄』を習いに避難所を訪れた時から同行していた私は、仲間に入れていただく形で、艶子さんが亡くなる2016年1月までの4年半、行動を共にしてきた。

2011年7月 避難所で「釜石浜唄」を八王子芸者衆に伝授する艶子さん
2011年7月 避難所で「釜石浜唄」を伝授する艶子さん。右はめぐみさん

「つやちゃん会」と称して芸者衆や地元八王子のお客さんなど有志と毎年釜石に出かけ、艶子さんを地元の料亭「幸楼」に招いて宴を催した。一方、艶子さんも私たちが来るのを大人しく待っているばかりではなかった。「八王子をどり」やおさらい会に合わせて年に1,2回、東京に出てくることを最大の楽しみとしていた。

そういうとき艶子さんはいつも、いちばんいい着物と帯を身につけ(大半の衣装は津波に流されたが、奇跡的に残ったものや知合いの芸者衆から譲られたものがいくつかあった)、白髪をきれいにセットし、お化粧をして、赤い紅をさしていた。その姿は、多くの高齢の芸者衆がそうであるように、驚くほど小柄でありながら人込みの中でも目を引くオーラを放っていた。

2014年釜石・幸楼のお座敷で唄う艶子さん
2014年釜石・幸楼のお座敷で唄う艶子さん

しかし、芸者としてお座敷に呼ばれる回数も数えるほどだった艶子さんにとって、そんな「ハレ」の日は1年のうちせいぜい10数日だっだはずだ。それ以外の300数十日の「ケ」を艶子さんは、決して広くなく住み心地もよいとはいえない仮設住宅で、普段着姿で、紅もささず過ごしていた。ちょうど、映画の中のサトミのように。

●サトミを見て思い出した、艶子さんの強さ

サトミは艶子さんがモデルだとはいえ、ストーリーの大半は創作である。にもかかわらず、スクリーンの中のサトミが何度か艶子さんに重なって見えた。桃井さんは、上映後のトークの中で、「被災者というのは弱くて諦めて枯れている存在なのではないかと勝手に想像していた。しかし実際に南相馬に行ってみて、避難所で暮らす人々が生命力にあふれていることに驚いた。それを見て私は、サトミをものすごく強いおばあさんとして演じようと決めた」と語っていた。

重なったのは、「強さ」だった。

震災から約半年後、私は艶子さんの思いをじっくり聞きたいと仮設住宅を訪ねた。「ホテル代がもったいないからここに泊まりなさい」と言われ、固辞したものの結局、泊めてもらうことに。「家も知り合いも町もなくなって、気力をなくしたことはなかったか」と聞いたのは、翌日。朝食をご馳走になった後の茶飲み話のときだった。艶子さんは、「いや、なかったね。なにしろ、やらなきゃ、と思った。こんなことで負けてたまっか、泣いてられっか、って。……強いのよ、私。本当に、強かったよー」と即答し、ウッフッフと笑ったのだった。

桃井さんは「(サトミは)今まで海外作品で描かれた中で一番正しい芸者像だったと自負している」とも語っている。表向き華やかな世界に生きる人々ほど、「ケ」の過ごし方に強さが表れる。『フクシマ・モナムール』から私が感じたのは、芸者の本当の強さだった。

去年5月、長唄と舞踊のおさらい会「杵藤会」を見に八王子にやってきた艶子さんは、桃井かおりさんが自分の役を演じることをとても喜んでいた。東京駅まで送ったとき、艶子さんは少し歩くだけで息を切らし、何度も立ち止まりながらやっとホームにたどりつくと、しんどそうに「もう、東京には来られないような気がする」と言った。結局、その年の暮に「つやちゃん会」有志で釜石に行ったのが、私たちが艶子さんに会った最後だった。

完成した映画を艶子さんに見ていただきたかった。でも、名女優が演じる、という形でその存在が後世に残るとは……なんて素敵な人生なのだろう。

日本での封切が実現することを願うばかりだ。

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