<東京・大井海岸> 唯一の女形芸者・栄太朗さんと、「芸者の個性」

母の遺志を継いで置屋「まつ乃家」の女将になった青年芸者とは

朝日新聞 2015.1.19 夕刊 栄太朗さん

(*朝日新聞 2015.1.19付 「孝行息子 お座敷に咲く」。掲載承諾書番号 A15-0375。無断転載禁止)

東京の花街といえば、東京六花街といわれる新橋・赤坂・芳町・神楽坂・浅草・向島のほか、大塚、八王子があり、大井海岸や円山町などにも芸者衆がいます。これらをすべて合わせた東京中の芸者衆の数はというと、私の調べでは270人前後といったところでしょうか。

東京全体で40~50か所の花街があり、多いところには一か所200人~600人の芸者がいた戦後の最盛期(昭和20、30年代)とは違い、今や「芸者」という職業そのものが珍しくなりました。若い妓には「どうして芸者さんになったの?」と聞かずにいられないのですが、まして栄太朗さんは男性。日本でただ一人の女形芸者です。

栄太朗さんがどのようないきさつで芸者になったのか。今、どのような思いでこの仕事と向き合っているのか。 その答えが、朝日新聞1月19日夕刊に「孝行息子 お座敷に咲く」のタイトルで掲載されました。

記事を読んで、芸者の個性について考えました。

花柳界の使命はお座敷でお客を楽しませることです。お客の好みは千差万別。男勝りで気の強い芸者が好きな人もいれば、女らしくて優しい芸者に癒される人もいる。芸者のおしゃべりを聞きたい人もいるし、自分の話を静かに聞いてほしい人もいる。自分がお酒を飲みたい人も、芸者にお酒を飲ませたい人も……。

したがって、姿形も性格も特技もバラエティに富んだ芸者衆がいることは花柳界の大きな強みになるといえます。

⑰イメージ 裾 軽い

一花街に何百人と芸者がいた時代、芸者衆は少しでも目立ち、人より多くお座敷に呼ばれるよう、さまざまな努力や工夫をしていました。

踊りや三味線の稽古に人一倍精を出して芸で秀でようとするのは正統派。囲碁好きなお客が呼んでくれるように囲碁を習ったり(昔はお座敷に囲碁をしに来る優雅なお客もいました)、ギターを弾きながら唄うギター芸者が登場したこともありました。

そう考えると、男性であることは芸者にとって相当大きな個性です。もちろん、どんな個性を持っていようが、芸者である以上、芸事に精進して、お座敷でお客さまをもてなし「今日は楽しかった」と喜んで帰っていただくことが本分。その「芸者道」を外さないことを前提に、一人一人の芸者衆が個性を思う存分に生かしていけば、より面白い、豊かな、お客にとって魅力的な花柳界が作られていくのではないでしょうか。

ちなみに浅草には、櫻川七太郎さんという女性の幇間さんがいます。まったく同じことがいえると思いました。

*記事の左下「高度成長期に全盛期 危機打開へ企画次々」の囲みは、浅原への取材を元に記者さんが書かれた解説部分です。

昭和50年代から衰退しはじめ、平成以降に芸者や料亭の廃業が進んだ〝危機〟を、東京の花柳界が「開かれた花柳界へと方向転換するチャンス」ととらえて、新たな客層を開拓すべくさまざまな試みを始めたことを述べました。

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