「新橋」タグアーカイブ

<東京・新橋>変わりゆく花柳界。「なでしこの踊り」➀ 時代の変化の中で

●平成になり、花柳界が門戸を広げ始めた。

私が花柳界に興味を持ち、取材をしはじめた平成7,8年ころ、花柳界はすでに、特定の限られた客層を相手に閉鎖性を売り物にする「一見さんお断り」(要紹介)一色の世界ではなくなりつつあった。たとえば浅草花柳界で「花柳界初体験のお客様に特におすすめのプラン」と銘打った前代未聞の「お座敷入門講座」が始まったのもちょうどそのころだ(*すでに終了)。土曜日の夜限定で、12人以上のグループに対して、芸者衆6名以上がつき、酒肴と飲み物1本つきで税別一人19,800円といういわば〝パックのお座敷遊び〟である。料金を明朗に提示し、芸者衆がお座敷遊びを手取り足取り教えてくれる、という2点において斬新な企画だった。それまで、お座敷のルールは先輩に連れられて恥をかきながら覚えるものだったし、請求書払いが当たり前で〝お得〟といった野暮な金銭感覚の入り込む余地などなかったはずだ。花柳界の長い歴史の中でも、画期的な試みだったのである。

浅草花街お座敷入門講座関係のチラシ(現在は終了しています)

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<東京・八王子> ついにお披露目。50数年ぶりの半玉・くるみさん18歳

花街に〝半玉さんが誕生した〟ことの大きな意味

くるみさんお披露目の手拭い、団扇、くるみ糖(京都・老松)
くるみさんお披露目の手拭い、団扇、くるみ糖

●なぜ、長い間、半玉が出なかったのか

東京・八王子花柳界で半世紀ぶりに半玉(はんぎょく。京都の舞妓にあたる。「お酌」ともいう)が誕生した。置屋ゆき乃恵のくるみさんだ。ベテラン芸者・竹千代姐さんによると、「昔、さざえさんという半玉さんがいましたが、私が出たとき(昭和38年)にはすでに赤坂に移っていました。それ以来半玉さんは出ていません」――。つまり、少なくとも53,4年、八王子に半玉さんはいなかったことになる。

『松づくし』を踊るくるみさん(2016.5.11「八王子黒塀に親しむ会」総会にて)
『松づくし』を踊るくるみさん(2016.5.11「八王子黒塀に親しむ会」総会にて)

〝久しぶりの半玉〟で思い出すのは、新橋花柳界で2008年にお披露目をした菊森川のきみ鶴さん(現在は一本)だ。実に65年ぶり、戦後初の半玉さんだった。なぜこれほど長い間、半玉が生まれなかったのだろうか――。

半玉とは一人前の芸者(一本)になる前の、いわば子どもの芸者で、戦前、玉代が一本の半分だったことからこう呼ばれた。戦前、置屋の家娘(いわゆるお嬢さん芸者)は数えの14歳で半玉になり、17歳前後で一本になるのがごく一般的な育てられ方だった。着物も帯も簪も一流品。一本の芸者姿に比べ派手で豪華な仕度には相当のお金がかかるため、借金の形に置屋に奉公に上がった抱えの芸者は、その姿に憧れながら、半玉で出させてもらうことはよほどの美人でもない限り、稀であったと聞く。

肩上げをした振袖の着物、桃割れの髪に派手な簪――半玉特有の姿は子どもの可愛らしさを最大限に引き立たせるものだ。一方でこのことが、「お座敷に出られるのは18歳以上」と法律改定された戦後の東京で、半玉を出しにくい理由の一つにもなった(京都の舞妓は15歳で出られる)。まして今の時代、大学を卒業後、あるいはOLから転職して芸者になるケースも珍しくなく、デビューの年齢は20代が中心だ。半玉で出すのは年齢的に難しいという現実がある。

とはいえ、半玉が町なかを歩く姿は人目を引き、そこが花街であることを強烈にアピールする。また、「半玉がいるとお座敷が華やかになる」と料亭のお客さんも喜ぶ。半玉は、花街の存在を際立たせ、花街の勢いを象徴するシンボルなのである。現在では、仕度は大がかりになっても、十代ならば(小柄で童顔ならば20歳過ぎても……)半玉で出そうという方針の置屋が少なくない。半玉とは、花街においてこのような存在であり、そのお披露目は一本のお披露目に増して話題になることが多いといえる。

●「八王子黒塀に親しむ会」の歴史とくるみさんの成長

お披露目に先駆け、4月27日に高尾山薬王院(八王子市)に、ゆき乃恵の芸者衆と共に参拝。
お披露目に先駆けて4月27日、高尾山薬王院(八王子市)に、ゆき乃恵の芸者衆と共に参拝。

小学生のころから日本舞踊を習っていたくるみさんは中学卒業後、舞踊を仕事にしたいと、高校には進学せず置屋に住み込みで芸者修業の道へ進んだ。お茶、三味線、踊りの稽古に、イベントでの踊りや仲居さんの手伝いなど忙しい見習い生活を続けて2年。4月25日に18歳の誕生日を迎え、晴れて芸者デビューを果たしたのである。

5月11日、花柳界の応援組織「八王子黒塀に親しむ会」総会において、くるみさんデビューを祝う会が開かれ、私も足を運んだ。同じテーブルには、くるみさんの祖母、母、姉のご家族も。「最初はまったく知らない世界なので心配でしたが、めぐみさんにお会いして、このかたのところなら、と安心しました。あの子は根性はあるし負けず嫌いなので、きっとがんばれると思います」(お母さん)。大丈夫だ。私の知る限り、昔も今も、売れっ子芸者は負けず嫌いだ。

八王子花柳界の灯を消すまいと、地元商工会議所を中心に「八王子黒塀に親しむ会」が発足したのは平成11年。当時、くるみさんは1歳の赤ちゃんだった。18歳になり百数十人の会員の前で堂々と『松づくし』を踊るくるみさんの姿と、「親しむ会」が積み上げてきた17年間の歴史が重なった。

総会中に、会場じゅうがどよめく楽しいハプニングが……。なんと、鶴瓶師匠がNHKの番組『鶴瓶の家族に乾杯』のロケ隊と共に、突然、会場に現れたのである。ロケで八王子を歩いている途中に、たまたま見番を見つけ、たまたまくるみさんのお披露目を知り、やって来たのだという。放送は6月20日とのこと。おたのしみに!

「八王子に花柳界があるとは始めて知りました!」と師匠
「八王子に花柳界がある事を初めて知りました!」と師匠

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<全国花街>駆け足で振り返る、私の2015年花柳界③9~12月 金沢・東京・釜石・盛岡

<9月>

<石川・金沢> 「第12回 北陸新幹線開業記念 金沢おどり」観賞 (石川県立音楽堂邦楽ホール)

2015 第12回金沢おどりプログラム
2015 第12回金沢おどりプログラム

<石川・金沢>行ってきました「金沢おどり」。

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<全国花街>駆け足で振り返る、私の2015年花柳界①1~4月 東京・新潟・金沢

<1月> 

東京八王子> 八王子芸妓・新春の宴(セレオ・イベントスペース)へ。新年の買い物客で賑わう駅ビルで初春の舞を披露。人前に積極的に出て行く〝攻めの姿勢〟が、今年も八王子芸者衆の知名度を上げ、マスコミの注目を集めた。

2015/1/4 八王子芸妓 新春の宴
2015/1/4 八王子芸妓 新春の宴

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<東京・新橋> 行ってきました「東をどり」② 芸者衆の魅力はギャップである

梅の香りか、桜の色か。人それぞれの『梅ごよみ』 (2015年5月23・24日)

東をどり 会場内ポスター

●舞台を見るたびに湧き上がる、芸者衆への敬い

芸者衆の魅力とは〝ギャップ〟である――。宴席では、タイミングのよいお酌やテンポのある会話で陽気に座を盛り上げてくれる身近な存在の芸者衆が、舞台で、舞踊、三味線、唄、鳴り物などの芸を披露するときはまるで手の届かない別人。雲の上の存在に感じられます。

自分への厳しさと芸事への真摯な気持ちを持ってストイックに稽古に精進し続ける面と、それを土台にしながら決してひけらかすことなく酒席をとりもつ「座持ち」の良さ――。「芸者」とは、この一見相反する両者を兼ね備えた稀有な職業なのです。

したがって、花柳界の踊りを観るの楽しみの一つは、

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<東京・新橋> 行ってきました「東をどり」① お座敷へと誘う舞台

だから、芸者衆の踊りは踊りを知らなくても楽しめる(2015年5月23.24日)

東をどり プロ組み合わせ明るい

5月23、24日、新橋芸者の舞踊の会「東をどり」(=あずまをどり)を観てきました。今年は第91回目。いよいよ100回公演に向けてのカウントダウン開始です。

〝舞踊の会〟と聞いだたけで「わからない、退屈、難しそう」と敬遠する人が少なくないかもしれませんが、踊りを知らなくても楽しめるのが、芸者衆の踊り。花柳界取材歴こそ長く、各地の会に足を運んでいるけれど、踊りも三味線も(着物すら)嗜まない私自身がそう思うのです。

それはいったいなぜか――。

ひと言でいえば、芸者衆の本質は芸術家ではなくエンターティナーだからです。「もてなしのプロ」である芸者衆には、目の前のお客さんを楽しませたいとの思いが本能的に身についていて、それは、お座敷でなく劇場の舞台であっても発揮される。……というより、芸者衆にとっては劇場も、お座敷と同じもてなしの場なのでしょう。

これが、師匠から弟子へ伝統芸能を継承していくことを使命とする舞踊家・邦楽家と、芸者の大きな違いではないでしょうか。

「これが芸者衆の踊りの楽しさか……」とあらためて感じた今年の「東をどり」でした。

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<東京・新橋> 第91回 「東をどり」5月21日~24日開催

新橋花柳界体験の第一歩は「東をどり」から。

東をどりチラシ karui●「東をどり」の輝かしい歴史

大正14年、新橋演舞場のこけら落としとして始まった新橋芸者の舞踊公演「東をどり」。戦後、「まり千代」という大スターを生み、楽屋口に、まり千代姐さん見たさの出待ちの女子学生が群がるほど人気の、国民的大行事となりました。

昭和20年代には、25日間公演が続き、それでもチケットが手に入りにくい状況でした。そのころ、ある演劇評論家が新聞に、次のようなあまりに印象的な言葉を寄せました。……

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<東京・新橋> 月刊『東京人』に執筆。若手芸者にエールを送る。

「東京人」2015年6月号(都市出版)「競え、舞え!新橋花柳界の若娘たち」 の記事を書きました。

東京人表紙全国の花柳界が一目置く「芸の新橋」。明治維新後、新政府の要人を大歓迎したことから赤坂と共に発展した、日本を代表する格式の高い花柳界です。「芸どころ」としての地位を確固たるものにした発端は大正時代。組合幹部が一念発起し、各流派の家元を専属の師匠に迎えたことでした。以来、各界のトップクラスが接待や遊び場・社交場として贔屓にし、街全体が一丸となって一流の芸者衆を育ててきました。

記事で焦点を当てたのは、「どうしても新橋芸者になりたい」との夢を実現させた二人の若手芸者・小花さんとちよ美さん。新橋花柳界の何が20代の若者たちを惹きつけるのか、彼女たちはこれからどのようにして押しも押されもせぬ「新橋芸者」に育っていくのか。

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