<東京・新橋> 行ってきました「東をどり」② 芸者衆の魅力はギャップである

梅の香りか、桜の色か。人それぞれの『梅ごよみ』 (2015年5月23・24日)

東をどり 会場内ポスター

●舞台を見るたびに湧き上がる、芸者衆への敬い

芸者衆の魅力とは〝ギャップ〟である――。宴席では、タイミングのよいお酌やテンポのある会話で陽気に座を盛り上げてくれる身近な存在の芸者衆が、舞台で、舞踊、三味線、唄、鳴り物などの芸を披露するときはまるで手の届かない別人。雲の上の存在に感じられます。

自分への厳しさと芸事への真摯な気持ちを持ってストイックに稽古に精進し続ける面と、それを土台にしながら決してひけらかすことなく酒席をとりもつ「座持ち」の良さ――。「芸者」とは、この一見相反する両者を兼ね備えた稀有な職業なのです。

したがって、花柳界の踊りを観るの楽しみの一つは、

「あの豪快なお姐さんが、あんな色っぽい役を踊るのか」「ふだんはお茶目だけれど、三味線を弾く姿は威厳がある」「お座敷で会うときよりずっと大人びて見える」……などギャップに驚く楽しみだ、といえるのはないでしょうか。

私は全国どこでも、花柳界の踊りの会、芸者衆の舞台を見るたびに芸者衆に対する敬いの気持ちがふつふつと湧いてきます。ベテランでも若手でも、年数や経験に関係なく。そして、踊りの会が終わればまたふだんの気さくな〇〇姐さんに戻ってくれるのが、なんともうれしいことです。東をどり 提灯

 

●「梅ごよみ」の役に感情移入

「東をどり」(=あずまをどり)2015、二幕第二景の『梅ごよみ』には没頭しました……。江戸深川を舞台に、若旦那を挟んだ芸者二人の恋の達引。

江戸時代中期に生まれたとされる深川芸者――。江戸城から見て辰巳(東南)の方角に位置するところから「辰巳芸者」、そして本来は男性の装いである羽織を着たことから「羽織芸者」とも呼ばれ、独特の存在感を放っていました。

当時、幕府が公認した遊郭は吉原だけ。吉原芸者(吉原には遊女とは別に、唄や三味線などの芸で座を盛り上げる「芸者」がいました)だけが正式に「芸者」と名乗ることを許されていた中、深川芸者は非合法・黙認の存在でありながら、吉原芸者に負けじと張り合う羽振りの良さを誇っていたのです……。

そんな江戸芸者の〝意気と張り〟を身上とする二人の深川芸者が、若旦那をどう取り合うのか。それを新橋芸者はどう演じるのか。

米八が梅で、仇吉が桜――二人の芸者を花にたとえ、「梅の香りか、桜の色か」と唄う。このフレーズが忘れられません。おそらく多くの観客が登場人物三人のうちの誰か――芸者の米八か仇吉か、若旦那の丹次郎か、に感情移入したことでしょう。 (ちなみに私は〝桜派〟でした)。

ダブルキャストで観賞。両日とも芸者衆の、役に賭ける意気込みがひしひしと伝わってきて、心がジーーンとしびれました。

©asahara 文章・画像の無断転載禁止