<石川・金沢>もうすぐ「金沢おどり」④。芸妓・峯子さんを想う――「一調一管」

第12回金沢おどり 2015年9月19日(金)~22日(火)

魂と魂がぶつかり合う真剣勝負

金沢おどり 提灯アップ

●〝笛吹きの芸妓はお嫁に行く〟のジンクスを破る

峯子さんが笛を習い始めたのは戦後まもなく、21歳のときだった。選んだ理由は明確だ。一番になりたかったから、である。昔から邦楽の盛んな金沢では明治時代後期に「素囃子」という演奏形式が確立した。お囃子(太鼓、鼓、大鼓、笛)を、三味線と唄を伴奏に演奏する邦楽オーケストラのようなもので、茶屋街の芸妓たちによって連綿と受け継がれてきた。峯子さんが若手のころ、各パートにはベテランの芸妓たちが不動の地位を占めており、入り込む隙はほとんど空いていなかった。ところがただ一つ、笛だけが誰も定着しない。不思議なことに、笛をやり始めるとなぜか縁談がまとまり、芸妓をやめてしまうのだという。

「自分が角を出そうと思ったら、人のやらないものを選べばいい」と、迷わず笛を習い始めた峯子さんは、素質と例の負けず嫌いの性格でみるみる頭角を表し、藤舎秀蓬に師事してわずか2年、25歳で藤舎秀扇を襲名した。「笛吹きの芸妓さんはお嫁に行く、というジンクスを私が初めて破ったがや」と得意そうに笑う。

●加賀友禅の発表会で見た演奏がヒントに

昭和50年代、峯子さんが「一調一管」を考え出すきっかけとなったのは、加賀友禅の発表会で行われた演奏会だった。二人の邦楽家が笛と鼓だけで演奏する様子を見た峯子さんは、「これはいいもんやなー。芸妓さんがやったら面白いぞ」とひらめいた。素囃子はたしかに素晴らしいのだが7~10数人の大がかりな編成となり、演奏の機会も限られる。「笛と鼓の二人だけだったら小回りが利いて気軽に呼べるし、もっと多くのお客さんに楽しんでもらえる」

……となれば、私の相手はこの子しかいない、と技量を見込んで選んだ相手が、「美音」の真向いのお茶屋「明月」の女将で芸妓の乃莉さんだった。「一調一管」が唯一無二の芸妓の芸として完成すると、京都やワシントンにも呼ばれ国内外で大評判となる。2009年からは「金沢おどり」でも演じられ、毎年これを目当てに遠方からも大勢のお客が訪れる人気演目の一つとなったのだった。

「天馬の翔」「龍虎」「風神雷神」「雪の安宅」「大蛇退治スサノオ」……オリジナルの曲名からも、二人の演奏の雰囲気が少しは伝わるだろうか。空気がピンと張りつめたホールの静寂を、突然突き破る鼓の音、笛の音。二人は天馬になり、龍虎になり、風神雷神になり、波音になり、スサノオと大蛇になり、魂と魂のぶつかり合いの真剣勝負を繰り広げる。邦楽の演奏を、まるで格闘技だと思ったのは初めてだった。

●「今日がいちばん下手だったがや」

金沢おどりポスターあれは2011年の「金沢おどり」4日間公演の3日目。「一調一管」を堪能した終演後、東京・神楽坂組合の一行が「美音」で設けたお座敷遊びの席に誘われ、同席したときのことである。この年の演目は「雪の安宅」。都を落ち延びた義経と弁慶がたどり着いた安宅海岸に雪の降る情景――日本海の荒波や静かに打ち寄せるさざ波を、笛と小鼓で表現する曲だ。誰もが、迫力あふれる演奏に感動し興奮さめやらぬ状態のまま「美音」の敷居を跨いだ。

最終日を明日に控えた峯子さんが、お座敷に挨拶に来た。みな、口々に「素晴らしかったです。本当に感動して鳥肌が立ちました」などと感想を述べる。すると峯子さんがすかさず、

「ほうけ(そうですか)? 今日がいちばん下手だったがや」。

お座敷に屈託のない笑いが広がった。そうか、今日の演奏があんなに素晴らしかったのに本当はもっと上手なのか! なんとうまいことを言うのだろう。芸妓の応答は簡潔で、邪気がなく、その場にいる全員に通じるわかりやすさがあり、仲間外れを作らない。芸妓の座持ちの技は、こんな何気ない会話の中にさりげなく隠れている。

私は急きょ思い立ち、翌最終日の当日券を買って、もう一度「一調一管」を聞いた。前日と同じくらい素晴らしかった。後日「美音」を訪れたとき、どうしても確かめたくて、いったいいつがいちばん上手だったのかと聞いた。峯子さんは何のことかな、というような表情で「初日やったかな?」ととぼけてみせた。

(続く)

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