あの日、避難所の一画が稽古場に変わった。
●歩くのも一苦労だったのに、踊るときはなめらかに動く足
2011年6月、八王子芸者のめぐみさんに同行して、釜石旧第一中学避難所に向かった。東北新幹線・新花巻駅で釜石線に乗り継ぎ、東京から片道5時間の長旅。めぐみさんとひと月ぶりの再会を果たした艶子さんは、「うれしくて夕べは寝られなかったのよ。あなたが来るからせめて髪だけは結ってもらったの」とマットレスの上で涙ぐんだ。送られた舞扇を手にすると、座ったままひらひらと舞わせ、上半身だけで踊りだした。 続きを読む <岩手・釜石> 追悼 最後の釜石芸者・艶子さん③ 避難所で八王子に受け継がれた釜石の芸 →
2か月ぶりにお座敷に呼ばれていた、まさにその日の地震
2011年3月11日は、2か月ぶりに幸楼のお座敷に呼ばれていた日だった。久しぶりのお座敷がうれしくて、昼前に髪結いを済ませ、近所の小料理屋「火の車」から届いた鯖の味噌煮で軽い腹ごしらえをしようとした矢先の、揺れ。「最初はゆらゆらゆらと弱かった。逃げ場を確保するためにすぐに部屋を飛び出して玄関の戸をを開けた。揺れが止まった、と思ったら、次の揺れは大きかった、ぐらぐらぐら」 続きを読む <岩手・釜石> 追悼 最後の釜石芸者・艶子さん② 津波が流したもの、運んできたもの →
2016年1月6日、最後の釜石芸者・艶子さん(舞踊名・藤間千雅乃=ふじまちかのさん)が亡くなられた。享年89歳。東日本大震災で家を流され避難所暮らしをする中、国内外のマスコミから注目を浴びることになった艶子さんに、私は八王子芸者めぐみさんとのご縁で出会い、何度か取材の時間をとっていただいた。釜石の避難所で、仮設住宅で、そして東京のホテルで――。昨年、企画中の本に収録しようと書いた文章は結局、陽の目を見ず、私のPCの中に眠ったままだ。追悼の想いをこめて、この場に残したいと思う。
続きを読む <岩手・釜石> 追悼 最後の釜石芸者・艶子さん① 14歳で芸者に。「自分で選んだ道だった」 →
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