<東京・赤坂> 赤坂芸者・育子さんの「華」① 2007年のインタビューより

お座敷をパッと明るく華やかに 赤坂芸者、咲き誇る(赤坂芸者・育子さんに聞く)

*「東京六花街 芸者さんに教わる和の心」浅原須美著 2007年ダイヤモンド社発行 より(抜粋、一部修正)
『東京六花街』46~47ページ

景気よくパアーッと遊びたいお座敷に、育子さんは欠かせない。若い芸者衆を従えて、ソレソレッ!と場を盛り上げる座持ちの良さと、行動力とリーダーシップにかけては右に出る者はない。「過去は振り返らない。前に進むのみ」ときっぱり言い切るところが何とも頼もしい。……が、今日は少しだけ、昔の良き思い出も振り返っていただいた。

●歌舞伎座を借り切って行った戦後の「赤坂をどり」

昭和24(1949)年、三越劇場で始まった舞踊公演「赤坂をどり」は、平成9(1997)年の第46回まで続く。第3回以降、歌舞伎座を3日間から6日間借り切って行ったことは、赤坂花柳界全盛期の華々しい思い出だ。育子さんが初めて赤坂をどりに出たのは芸者になった翌年、昭和40(1965)年のことだった。

(育子)当時、舞踊家の人たちによく言われました。「あの舞台を一年に何回も踏めるなんて、あなたたち最高に幸せよ」と。踊りに携わる者にとって歌舞伎座というのはそれくらいステイタスのある特別な場所なのです。今でも歌舞伎座にお芝居を見に行くと、ああ、私たちはこんなすごいところで何十年も踊らせていただいたんだ……と感慨深いものがありますね。

毎年3日も6日も踏ませていただいていると、舞台が〝自分のもの〟になってきます。何歩進んだらここまで行く、何歩下がったらあそこまで行く、正面を切るときはあの柱を見れば決まる、照明がこの方向から当たるからこの位置にこの角度で立つと映える――。それを体が自然に覚えてしまうのです。

外観も存在感があるでしょう? よく、公演後に正面玄関の前でインタビューを受けたのですが、歌舞伎座と日本髪の芸者との組み合わせはインパクトがありますよね。あっという間に人だかりができるのを見て、「あー、私たちってJAPANESE! こんなに大勢の人を惹きつけている!」と思いましたね。

もちろんそれぞれの劇場に良さがありますが、やっぱり私たちにとって歌舞伎座は日本一、いや世界一なんです。

赤坂芸者・育子さんの「華」②へ続く