<東京・新橋> 新橋芸者と「狂言」。「なでしこの踊り 早春2019」より

●まさか「なでしこの踊り」で「狂言」が見られるとは!

さすが、全国の芸者衆から一目置かれる「芸の新橋」だ。「なでしこの踊り」で若手芸者衆の「狂言」が見られるとは思わなかった。

今回で10回目の開催となる「なでしこの踊り」は、大正14年から続く新橋花柳界最大のイベント「東をどり」の〝娘版〟といってよいかもしれない。層の厚い新橋花柳界――。東をどりではまだまだ主役を張れない若手が、ここでは大役に挑戦し、お座敷あそびをリードし、中心になってお客をもてなす。なでしこの踊りは、次世代の東をどりのスターが育つ場であり、お客の側に視点を移せば新橋花柳界の味と芸と遊びを手ごろな値段で楽しめる、お得なチャンスでもある。

今回のなでしこの踊りでは、初の試みとしてなんと「狂言」が登場した。演目は「盆山(ぼんさん)」。豪華な盆山(盆栽に似た鉢植えや箱庭)を多く持つ知人と、それをうらやましく思い、宅に忍び込んで盗み出そうとする者との面白おかしいやりとりを、のりえさんと小福さんが演じた。

始まる前に、ベテラン芸者の小喜美姐さんがおおよその筋書きと狂言の特徴や見どころを解説してくれたのが非常に役に立った。狂言初心者でも場面場面の状況が手に取るようにわかり、二人のやりとりの何ともいえない可笑しさが伝わってきて、芸者の舞台には珍しく何度も大きな笑いが起こる。狂言は、老若男女が素直に笑える、品の良いコントだ。

狂言「盆山」。宅に戻った盆山の持ち主(左・小福さん)と、盗みに入った者(のりえさん)

●狂言の稽古は、なんと昭和28年以来の伝統

新橋の芸者衆は和泉流狂言師の三宅右近氏を師匠に迎え、狂言の稽古に取り組んでいる。芸者衆が個人的に習うのではなく、花柳界の組合として正式に狂言を稽古に組み入れているところは、全国でも新橋だけではないだろうか――。

実は、新橋花柳界が組合をあげて狂言の稽古に取り組み始めたきっかけは、66年前に遡る。昭和28年――ときは「東をどり」全盛期。まり千代という大スターを擁し、年2回春秋それぞれ25日間の公演はチケットの前売りが即完売、全国から観光バスで観客が押し寄せ、新橋演舞場の楽屋にまり千代を待つ〝出待ち〟のファンが押し寄せる大人気だった。

その頃の「東をどり」で毎回注目を浴びた出し物が、文芸作品の新作舞踊だ。組合幹部が当時の名だたる作家・劇作家に東をどりのための新作の書き下ろしや、文芸作品の提供を依頼したのである。谷崎潤一郎、吉川英治、舟橋聖一、折口信夫――その豪華な顔ぶれに世間は「さすが新橋」と驚いたものだった。この東をどりならではの傾向が、狂言の稽古につながる。

『新橋と演舞場の七十年』(平成8年。発行/新橋演舞場株式会社。編集・制作/都市出版株式会社)

●和泉流宗家・三宅藤九郎を新橋組合の師匠に招く

その経緯を、以下『演舞場と新橋の七十年』Ⅱ「東をどり」の歴史(岡副昭吾)より引用する。

「文芸作品の新作が多くなるにつれて問題になってきたのが、芸者たちのせりふ回しである。その解決策の一つとして狂言を稽古しようということになり、新橋組合に和泉流宗家の三宅藤九郎を招くことになった。女ばかりの、しかも花柳界の稽古を引き受けられるについては、ああした古い世界だからさぞかし周囲の声がやかましかったろうと察するが、実に熱心に稽古して下さった。当時はまだ女性が能舞台に立つことすら珍しく、しかも芸者ということもあり、藤九郎は第一回の勉強会のため、目黒の喜多六平太さんに舞台をお借りしたい、と直接お願いに上がったそうである。六平太さんは、まじめに稽古している人に男も女も芸者もあるものか、と快く舞台をお貸しになったという」

●今後も「なでしこの踊り」ならではの企画に期待

以来、新橋の芸者衆は狂言を稽古し続けている。とはいえ狂言をお座敷や舞台で披露するチャンスはまずないのだが、それによって身に付く落ち着いた動作や発声法は、舞踊や唄や立ち居振る舞いにどれほど役に立つことだろう。

今回、「なでしこの踊り」で思いがけず芸者衆の狂言に接することができたおかげで、新橋芸者の芸の幅広さ、奥深さをあらためて実感し、新橋が長年「芸の新橋」と呼ばれ続ける理由の一端にも考えが及んだ。

今後も「なでしこの踊り」ならではの企画に期待したい。

*次回「なでしこの踊り夏2019」は8月16日~19日に開催。

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