●縁のはじまりは「ケンロクエンノサクラサク」
花柳界を取材しはじめて28年。今までに全国各地、50ほどの花街を訪れてきたが、1度だけの縁だったところもあれば、数えきれないほど足を運んだ花街もある。東京以外でいえば、後者の代表が新潟と、金沢だ。
私事で余談だが、私の兄が縁もゆかりもなく居住地から遠く離れたこの土地の国立大学に入ったことが、私の金沢との縁のはじまりだった。当時(昭和40年代後半)、大学の合格発表は掲示板に受験番号が張り出される形式で、見に行けない人は合否を電報で知らせてもらう合格電報を試験後に申し込むのが通例だった。 続きを読む <金沢>やっぱり金沢とは縁がある。浅の川園遊会館を訪れて →
<1月>
●<東京・八王子> 八王子芸妓・新春の宴(セレオ・イベントスペース)へ。新年の買い物客で賑わう駅ビルで初春の舞を披露。人前に積極的に出て行く〝攻めの姿勢〟が、今年も八王子芸者衆の知名度を上げ、マスコミの注目を集めた。
続きを読む <全国花街>駆け足で振り返る、私の2015年花柳界①1~4月 東京・新潟・金沢 →
峯子さんが舞台に座っているようだった
*PC本体故障による修理のため、しばらく更新が滞りました。少し時間がたってしまいましたが「金沢おどり②」(9月19日観賞)をアップいたします。
●笛の音に、峯子さんを忍ぶ
今年いちばんの話題は、西茶屋街の名妓、小鼓の乃莉さんと舞踊の八重治さんによる「一調一舞」。当HP「もうすぐ金沢おどり①~⑤」でも書いたように、笛の峯子さんと乃莉さんの「一調一管」は金沢の誇る至芸で、金沢おどりの人気演目の一つでした。……が、今年3月に峯子さんが突然逝去。これに替わり、金沢おどりに向けて西のもう一人の名妓・八重治さんが乃莉さんと初めて二人で組むことになったのです。 続きを読む <石川・金沢>行ってきました「金沢おどり」② 一調一舞&一管 →
大和楽ならではのテンポとハーモニーの美しさ
北陸新幹線が開業して最初の、第12回「金沢おどり」(2015年9月19日~22日)が開催されました。初日に観賞。
金沢の格調高い伝統芸能「素囃子」で幕を開け、間に「大和楽でつづる」全八景を挟み、金沢名物「お座敷太鼓」、そして総おどりの「金沢風雅」で〆る、金沢らしさ満載の一時間半。毎年のことながら、舞台はまさに〝動く美しい絵画〟。芸妓衆の姿、仕草の美しさが際立つよう隅々まで計算されつくした演出に、会場から「わーーっ」と静かなどよめきが起こっていました。 続きを読む <石川・金沢>行ってきました「金沢おどり」。 →
*第12回金沢おどり 2015年9月19日(金)~22日(火)
「今年で最後や」と言い続けた大切な芸
●金沢に新幹線が通るまで……
私の知る限りではここ5年ほど、峯子さんは毎年「金沢おどり」に出るのは今年で最後や、と言い続けていた。一度「一調一管」を目の当りにするとその大変さがよくわかる。終わったあとそのまま倒れこんで起き上がれなくなってしまうのではないかと思うほどの全力投球だ。「80過ぎると力もなくなる。人と比べられたら腹が立つ。昔は上手だったのにと言われたら嫌なもんやぞ」。そう言いながら、出ると決めた以上、必ず大きな感動を与えてくれる。だからまた来年も……と周囲が引退を許さないのだ。「もう出ません」と断っても「駄目です、出なくちゃ駄目です」「笛を吹けないというなら、舞台に座っているだけでいいです」などと一蹴され、峯子さんは毎年「金沢おどり」で「一調一管」を演じ続けた。いつしか「北陸新幹線が通るまで」は峯子さんの周囲で合言葉のようになっていた。 続きを読む <石川・金沢>もうすぐ「金沢おどり」⑤。芸妓・峯子さんを想う――「一調一舞」へつなぐ →
*第12回金沢おどり 2015年9月19日(金)~22日(火)
魂と魂がぶつかり合う真剣勝負
●〝笛吹きの芸妓はお嫁に行く〟のジンクスを破る
峯子さんが笛を習い始めたのは戦後まもなく、21歳のときだった。選んだ理由は明確だ。一番になりたかったから、である。昔から邦楽の盛んな金沢では明治時代後期に「素囃子」という演奏形式が確立した。お囃子(太鼓、鼓、大鼓、笛)を、三味線と唄を伴奏に演奏する邦楽オーケストラのようなもので、茶屋街の芸妓たちによって連綿と受け継がれてきた。峯子さんが若手のころ、各パートにはベテランの芸妓たちが不動の地位を占めており、入り込む隙はほとんど空いていなかった。ところがただ一つ、笛だけが誰も定着しない。不思議なことに、笛をやり始めるとなぜか縁談がまとまり、芸妓をやめてしまうのだという。 続きを読む <石川・金沢>もうすぐ「金沢おどり」④。芸妓・峯子さんを想う――「一調一管」 →
*第12回金沢おどり 2015年9月19日(金)~22日(火)
芸妓として残るのは、芸事に一生懸命な子だった
●芸は身を助く。「ねえや」のはずが芸妓に
金沢では芸妓見習いの女の子を「たあぼ」という。東京の「仕込みっ子」、京都の「おちょぼ」と同じで、置屋に住み込み、姉芸妓の身の回りの手伝いや使い走りの雑用など下働きをしながら芸事を習い、お披露目に備えるのである。ところが、峯子さんの奉公先に決まった置屋「今照(いまてる)」の親方は、そもそも芸妓見習いではなくお手伝いの「ねえや」のつもりで受け入れたのだった。その理由を峯子さんはこう語る――「器量が悪いから芸妓さんとしてはものにならないと思われたがや」。 続きを読む <石川・金沢>もうすぐ「金沢おどり」③。芸妓・峯子さんを想う――負けず嫌い →
*第12回金沢おどり 2015年9月19日(金)~22日(火)
元気の源はしゃべること・食べることだ、と笑った
●人々を惹きつける、飾らない人柄
峯子さんの魅力の一つは、肩書や役職から想像する堅いイメージと、お茶目で飾らない実際の人柄との大きなギャップにある。その素顔を惜しげもなく全国にさらけ出した番組が2011年10月に放映されたNHK「にっぽん紀行『金沢芸妓ふたり』」だ。「一調一管」のコンビ――笛の峯子さんと小鼓の乃莉さん(同じにし茶屋街の芸妓でお茶屋「明月」の女将)が、「金沢おどり」本番に向けて演奏を完成させていく姿を密着取材したドキュメンタリー番組である。 続きを読む <石川・金沢>もうすぐ「金沢おどり」②。芸妓・峯子さんを想う――お茶目 →
*第12回金沢おどり 2015年9月19日(金)~22日(火)
北陸新幹線開業の、その日に逝った人
●最後の「一調一管」は優しく聞こえた
2015年3月14日、北陸新幹線開業のまさにその日、金沢にし茶屋街の芸妓でお茶屋「美音(みね)」の女将、峯子さんが突然、逝った。藤舎秀扇の名をもつ笛の名人でもあり、小鼓の乃莉さんと2人で奏でる「一調一管」は高い評価を得、「金沢おどり」の人気演目の一つだった。昭和2年生まれ、享年87歳。朝までお元気だったそうだから、楽しみに待っていた新幹線開業を伝えるテレビニュースを見ることはできたのではないかと想像している。
昨年の9月20日、「第11回金沢おどり」公演後に楽屋を訪ね、「来年は新幹線で見に来ます」と言ったのが面と向かった最後だった。 続きを読む <石川・金沢>もうすぐ「金沢おどり」①。芸妓・峯子さんを想う――別れと出会い →
東京から〝わざわざ〟訪れたい金沢茶屋街の魅力。(北國新聞 1月23・24日)
北陸新幹線開業(3月14日)に向けての「北國新聞」連載記事、「新幹線は文化を運ぶ」に、茶屋街(花街)が二日に渡り取り上げられ、記者さんの取材を受けました。
金沢には、それぞれ少しずつ雰囲気の違う三つの茶屋街――ひがし、にし、主計町(かずえまち)があり、観光地としても人気です。芸妓数は合わせて40数名。若手も多く、格式、華やかさ、将来性、芸事を習う環境、一般の人々が楽しめる企画など総合力において、私が思うに全国でもトップクラス。何度も訪れている花街の一つです。
以下、新聞記事を元に、遠くからでもわざわざ訪れたい金沢茶屋街の魅力を、芸妓峯子さんにも触れながら、解説します。
続きを読む <石川・金沢> 北陸新幹線開業と金沢茶屋街と、峯子さん →
芸者・芸妓取材歴20年の実績に基づく、全国の花街・花柳界情報サイト