<北海道・小樽> 小樽最後の芸者・喜久さんを想う➄。来ないお客をいつも待っていた

喜久さんを想う➃より続く

●「この電話は、現在使われておりません」

思い出のいっぱい詰まった「おたるむかし茶屋」(2011年撮影)

平成24年10月、久しぶりに「おたるむかし茶屋」に電話をした。いつものように電光石火の早業で出るかと思いきや、聞こえて来たのは「現在使われておりません」の予期せぬメッセージ。

――悪い予感がした。

かなり迷った挙句に、思い切って初めて自宅に電話をかけた。呼び出し音は10回近く鳴っただろうか、あきらめかけたとき、懐かしい喜久さんの声が聞こえてきた。とりあえず安心する。

体調を崩してしまい、9月いっぱいで店を閉めたという。その声は意外に元気そうで、いつものようにさばさばと、あっさりとした口調に、同情や心配を寄せ付けない強さが感じられた。

●カウンター席に、必ずセットしてあった会席盆

店内の光景が、ありありと思い出された。

壁にはたくさんの写真が飾ってあった。半玉(半人前の子どもの芸者)のお披露目をした15歳の喜久さん、一本(一人前の芸者)になった17歳の喜久さん。海陽亭のお座敷で石原裕次郎氏と女将さんと一緒に笑う喜久さん。妙見神社にお参りをする芸者衆。石原慎太郎氏原作の映画「おとうと」の撮影現場・海陽亭で、主役の渡哲也氏やスタッフと一緒に撮った記念写真。むかし茶屋創立のころ、先輩の芸者衆と楽しそうに笑う写真――。

「もうなりたくない」と言った芸者という仕事に、喜久さんが誇りを持っていたことが一目瞭然の店内だった。

帰るときはいつも私が角を曲がるまで、店先で見送ってくれた。これが最後に見た喜久さんの姿(2011年撮影)

「お客は来なくていいのさ」といいながら、喜久さんは、毎日お客を待っていた。だから電話にあんなに早く出たのだ。だからいつも、すべてのカウンター席に会席盆を並べ、グラスと箸をセットしていたのだ。いつ、誰が来てもいいように――。

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