<北海道・小樽> 小樽最後の芸者・喜久さんを想う➀。「芸者になんて、もうなりたくない」。

●2017年10月、小樽最後の芸者逝く

小樽在住の知り合いから、小樽芸者・喜久さんの訃報が届いたのは、2017年10月22日のことだった。何度も足を運んだ「おたるむかし茶屋」の店内と、喜久さんの姿がありありと思い出された。

●「芸者になんて、もうなりたくない」と言った人

「おたるむかし茶屋」(2010年撮影)

わきまえ、奥床しさ、つつましさといった「芸者」から私が連想する単語を書き並べていると、頭に浮かんでくる北の光景がある。小樽駅から歩いて約10分、花園町にある和風小料理屋「おたるむかし茶屋」のカウンター内で、ひとり目をつぶり、正座をしてラジオを聞いている小樽芸者の喜久さんだ。

喜久さんは大正13年生まれ。戦前の花柳界を知る各地の高齢の芸者衆の話と姿を記録する仕事の中で、「生まれ変わっても芸者になりたいか」との質問に、ただ一人はっきりと「芸者なんて、もうなりたくない」と答えた人だった。

理由を尋ねると、「とにかく忙しすぎて、自分のやりたいことも、なかなかやれないし。……だって年末年始も休みはないし、お正月も昼間からお座敷でしょう? 戦前はお休みなんて年に2回だけだもの」という。

時間があったらどんなことをしたかったの?と聞く。

「……本当はね、好きな人と一緒にずっと暮らしていたかったけど、そうもいかないからね」

初対面から12年後の平成23年9月。のべ7回の取材。その最後の最後に、少しだけ漏れた本音――。喜久さんは「すっかりばらしちゃった。ハハハ」と笑うと、この話はおしまい、と告げる代わりに、明日は何時の飛行機で帰るのかと私に尋ねた。人に話すことと話さないことの境目を、崩さない人だった。

開店当初(平成元年ころ)の「おたるむかし茶屋」

おたるむかし茶屋は、平成元年に5人の小樽芸者が始めたカウンターのみの小さな小料理屋だ。芸者衆が畳敷きのカウンター内で接客し、リクエストに応じて三味線を弾き、唄い、興が乗ればソーラン節や炭坑節を、ときにはお客さんも一緒に踊った。開店当初は、小樽芸者の接待でお座敷気分を気軽に味わえる店として話題を呼んだ。

喜久さんを想うへ続く)

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