<東京・新橋> 5月24日・4日目(東をどり百回記念公演)

東をどり百回記念公演

第百回 東をどり

●金沢三茶屋街「素囃子」。さすが芸どころ

東をどり開催後初めての週末とあって、いつもに増して盛況の新橋演舞場。正面玄関前に大型の観光バスが乗り付けていた。

連日、各地の花街が日替わりで舞台に花を添え、新橋芸者の存在も際立つ中、ちょうど中日の4日目は特に芸者の芸の幅広さを堪能できる絶好の機会となった。

金沢三茶屋街の「素囃子」。素囃子とは舞踊の入らない演奏のみの形式を指し、「金沢素囃子」は金沢市の無形文化財だ。ひがし、にし、主計町(かぞえまち)の三茶屋街合同、20人の芸妓衆が2段に並び、長唄「君が代松竹梅」を演奏。毎年秋に開催される「金沢おどり」でも、素囃子は同じく、三茶屋街名物で門外不出といわれる「お座敷太鼓」とともに披露される。

金沢の茶屋街といえば、北陸新幹線が開通する前からたびたび足を運んだ私にとって馴染みの場所だ。にしの名妓で笛の名手、兼お茶屋「美音」の女将だった故・峯子さんに惹かれて、話を聞きに通ったっけ。お茶目で食いしん坊で豪快で優しくて楽しくて、魅力的な芸妓さんだった。「金沢おどり」の会場をシーンと静まりかえらせた「一調一管」(峯子さんの笛と乃莉さんの鼓)はまさに魂の響き。鳥肌ものだった。

令和7年第22回金沢おどり・9月20日(土)~23日(火)開催

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●他では真似できない長崎丸山町「うかれ唐人」

丸山町は、井原西鶴が「長崎に丸山といふ処(ところ)なくば、上方の金銀無事に帰宅すべし」(『日本永代蔵』)と書いた、長崎一の花街。鎖国時代から多くの外国人を迎え入れ、造船業・水産業で賑わったまち。今も昭和初期に建てられた長崎検番の建物が丸山町の象徴として健在だ。路面電車の駅名にもある「思案橋」は丸山花街の入口。かつて、花街の誘惑に「行こか、戻ろか」と人々が思い迷ったことから名づけられた思案橋が昭和22年まで架かっていた。

今回の出し物は、長崎独特の長唄「うかれ唐人」。唐人の恰好をした三人の芸妓衆(げいこし)がお酒に浮かれ興じる様子を面白おかしく踊る。

丸山町を初めて訪れたのは30年前になる。話を聞いた八重奴姐さんは阿川弘之『米内光政』に実名で登場する芸妓さんだ。

《今も長崎芸者の八重奴だが、そのころ数えの十四歳で、米内の前へ番茶代りの酒をそっと置いて、「うわァ、偉人さんみたいなよか男」と、眼を丸くした》阿川弘之『米内光政』

長崎検番ホームページ https://nagasakikenban.jp

本来、その土地に足を運ばなければ触れることのできない芸を、一度に2つも3つも堪能できる東をどり百回記念公演。なんと贅沢な時間だろう。そして、本番までの道のりがいかに大変だったか――。企画を立て構想を練り、各地の花柳界を招待し、実現まで漕ぎつけた新橋組合ならびに関係者の努力に心から敬意を表します。