<京都・上七軒>名妓・勝喜代さん②。西陣で栄えた花街に生まれて

元芸妓の母、西陣の父の反対を押し切って

第59回北野をどりプログラム(平成23年)。
第59回北野をどりプログラム(平成23年)。

●華やかな祇園、しっとり落ち着く上七軒

上七軒は京都五花街の中でも最古といわれ、菅原道真公を祀る北野天満宮の近くに位置する花街だ。この少し珍しい名前は、室町時代、火事で一部を焼失した北野社(現在の北野天満宮)の修造作業中に残った材料で、七軒のお茶屋が建ったことに由来し、花街として成立したのは江戸時代初期と伝えられている。 続きを読む <京都・上七軒>名妓・勝喜代さん②。西陣で栄えた花街に生まれて

<東京・浅草> 2016三社祭「くみ踊り」。街もお座敷も晴天なり。

雨がつきもののお祭り。「今年は降らなかったね……」。

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●三社祭は、水に縁ある「浅草神社」の例大祭

三社祭には雨がつきもの……これは浅草の人々の〝常識〟だ。といっても単なる統計学的な確率ではなく、三社祭の由来にまつわる由緒正しい理由がある。 続きを読む <東京・浅草> 2016三社祭「くみ踊り」。街もお座敷も晴天なり。

<東京・八王子> ついにお披露目。50数年ぶりの半玉・くるみさん18歳

花街に〝半玉さんが誕生した〟ことの大きな意味

くるみさんお披露目の手拭い、団扇、くるみ糖(京都・老松)
くるみさんお披露目の手拭い、団扇、くるみ糖

●なぜ、長い間、半玉が出なかったのか

東京・八王子花柳界で半世紀ぶりに半玉(はんぎょく。京都の舞妓にあたる。「お酌」ともいう)が誕生した。置屋ゆき乃恵のくるみさんだ。ベテラン芸者・竹千代姐さんによると、「昔、さざえさんという半玉さんがいましたが、私が出たとき(昭和38年)にはすでに赤坂に移っていました。それ以来半玉さんは出ていません」――。つまり、少なくとも53,4年、八王子に半玉さんはいなかったことになる。

『松づくし』を踊るくるみさん(2016.5.11「八王子黒塀に親しむ会」総会にて)
『松づくし』を踊るくるみさん(2016.5.11「八王子黒塀に親しむ会」総会にて)

〝久しぶりの半玉〟で思い出すのは、新橋花柳界で2008年にお披露目をした菊森川のきみ鶴さん(現在は一本)だ。実に65年ぶり、戦後初の半玉さんだった。なぜこれほど長い間、半玉が生まれなかったのだろうか――。

半玉とは一人前の芸者(一本)になる前の、いわば子どもの芸者で、戦前、玉代が一本の半分だったことからこう呼ばれた。戦前、置屋の家娘(いわゆるお嬢さん芸者)は数えの14歳で半玉になり、17歳前後で一本になるのがごく一般的な育てられ方だった。着物も帯も簪も一流品。一本の芸者姿に比べ派手で豪華な仕度には相当のお金がかかるため、借金の形に置屋に奉公に上がった抱えの芸者は、その姿に憧れながら、半玉で出させてもらうことはよほどの美人でもない限り、稀であったと聞く。

肩上げをした振袖の着物、桃割れの髪に派手な簪――半玉特有の姿は子どもの可愛らしさを最大限に引き立たせるものだ。一方でこのことが、「お座敷に出られるのは18歳以上」と法律改定された戦後の東京で、半玉を出しにくい理由の一つにもなった(京都の舞妓は15歳で出られる)。まして今の時代、大学を卒業後、あるいはOLから転職して芸者になるケースも珍しくなく、デビューの年齢は20代が中心だ。半玉で出すのは年齢的に難しいという現実がある。

とはいえ、半玉が町なかを歩く姿は人目を引き、そこが花街であることを強烈にアピールする。また、「半玉がいるとお座敷が華やかになる」と料亭のお客さんも喜ぶ。半玉は、花街の存在を際立たせ、花街の勢いを象徴するシンボルなのである。現在では、仕度は大がかりになっても、十代ならば(小柄で童顔ならば20歳過ぎても……)半玉で出そうという方針の置屋が少なくない。半玉とは、花街においてこのような存在であり、そのお披露目は一本のお披露目に増して話題になることが多いといえる。

●「八王子黒塀に親しむ会」の歴史とくるみさんの成長

お披露目に先駆け、4月27日に高尾山薬王院(八王子市)に、ゆき乃恵の芸者衆と共に参拝。
お披露目に先駆けて4月27日、高尾山薬王院(八王子市)に、ゆき乃恵の芸者衆と共に参拝。

小学生のころから日本舞踊を習っていたくるみさんは中学卒業後、舞踊を仕事にしたいと、高校には進学せず置屋に住み込みで芸者修業の道へ進んだ。お茶、三味線、踊りの稽古に、イベントでの踊りや仲居さんの手伝いなど忙しい見習い生活を続けて2年。4月25日に18歳の誕生日を迎え、晴れて芸者デビューを果たしたのである。

5月11日、花柳界の応援組織「八王子黒塀に親しむ会」総会において、くるみさんデビューを祝う会が開かれ、私も足を運んだ。同じテーブルには、くるみさんの祖母、母、姉のご家族も。「最初はまったく知らない世界なので心配でしたが、めぐみさんにお会いして、このかたのところなら、と安心しました。あの子は根性はあるし負けず嫌いなので、きっとがんばれると思います」(お母さん)。大丈夫だ。私の知る限り、昔も今も、売れっ子芸者は負けず嫌いだ。

八王子花柳界の灯を消すまいと、地元商工会議所を中心に「八王子黒塀に親しむ会」が発足したのは平成11年。当時、くるみさんは1歳の赤ちゃんだった。18歳になり百数十人の会員の前で堂々と『松づくし』を踊るくるみさんの姿と、「親しむ会」が積み上げてきた17年間の歴史が重なった。

総会中に、会場じゅうがどよめく楽しいハプニングが……。なんと、鶴瓶師匠がNHKの番組『鶴瓶の家族に乾杯』のロケ隊と共に、突然、会場に現れたのである。ロケで八王子を歩いている途中に、たまたま見番を見つけ、たまたまくるみさんのお披露目を知り、やって来たのだという。放送は6月20日とのこと。おたのしみに!

「八王子に花柳界があるとは始めて知りました!」と師匠
「八王子に花柳界がある事を初めて知りました!」と師匠

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<京都・上七軒> 名妓・勝喜代さん①。お座敷で生まれる〝持ち芸〟

流行歌に合わせて即興で踊る名人芸

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●浅草の元芸者・富千代さんの数々の持ち芸

芸者の芸には〝〇〇姐さんの持ち芸〟ともいうべき個人的な芸がある。一代限りで消えていくものも多く、師匠から弟子へ、先輩から後輩へ受け継がれる伝統芸能とは異なる究極のお座敷芸だ。常連客との気の置けない小座敷でこそ活きる芸、舞踊家には望むべくもない芸であり、お座敷遊びの醍醐味の最たるものといえるかもしれない。 続きを読む <京都・上七軒> 名妓・勝喜代さん①。お座敷で生まれる〝持ち芸〟