あの日、避難所の一画が稽古場に変わった。
●歩くのも一苦労だったのに、踊るときはなめらかに動く足
2011年6月、八王子芸者のめぐみさんに同行して、釜石旧第一中学避難所に向かった。東北新幹線・新花巻駅で釜石線に乗り継ぎ、東京から片道5時間の長旅。めぐみさんとひと月ぶりの再会を果たした艶子さんは、「うれしくて夕べは寝られなかったのよ。あなたが来るからせめて髪だけは結ってもらったの」とマットレスの上で涙ぐんだ。送られた舞扇を手にすると、座ったままひらひらと舞わせ、上半身だけで踊りだした。 続きを読む <岩手・釜石> 追悼 最後の釜石芸者・艶子さん③ 避難所で八王子に受け継がれた釜石の芸 →
「最後の吉原芸者が語る 昭和初期の不夜城。故・四代目みな子」。10年前の取材裏話
●浅草「むつみ」で海老しんじょうをつまみに飲みながら
最後の吉原芸者 故・四代目みな子さんに初めて独自取材をしたのは、亡くなる5年前の2005年。みな子姐さんは85歳だった。お酒(日本酒)が大好きで、みな子さん行きつけの浅草観音裏の釜飯「むつみ」には2回ほどご一緒したと思う。当時の取材記録を辿ると、「釜飯、お通し(みな子姐さん用の特別のお通し)、海老しんじょうをいただきながら、お酒(菊正)二合徳利を4,5本空ける」とメモがあった。「むつみ」の海老しんじょうは、みな子さんおすすめの名物料理だったことを思い出した。
続きを読む <東京・吉原>月刊誌「東京人」2016・4月号 江戸吉原特集 に執筆しました →
芸者・芸妓取材歴20年の実績に基づく、全国の花街・花柳界情報サイト