<東京・神楽坂> 若手を支える神楽坂の底力。「花みずか会」開催

伸びようとする若手、伸ばそうとするベテラン

●「舞台で踊りたい」。若手の希望で実現した会

神楽坂 花みずか会神楽坂の若手芸者衆の勉強会が、日頃、稽古にあたっている花柳輔瑞佳師匠の「花みずか会」として、10月26日(月)神楽坂劇場(牛込箪笥区民ホール)で開催された。

出演者は、涼也、桃子、小夏、福子、小春、櫻子、史帆、㐂よ乃(敬称略)の8名。若手の芸者衆が長唄、清元、常磐津の、いわゆる「段もの」と呼ばれる本格的な舞踊を舞台で踊る機会はあまりなく、今回は若手のたっての希望で実現した会。知合いの芸者衆からの情報によると、出演者たちはこの日のために費用を積み立てて準備をしてきたという。

プログラム
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●「華の会」を実現させた若手が、今度は若手を応援する側に

この話を聞いて、今年まで行われていた「神楽坂をどり」の前身「華の会」の誕生物語を思い出した。神楽坂の花街舞踊が「牛込さつき会」の名で始まったのは昭和38年(会場は明治座)。3回目以降、名称を「神楽坂をどり」と変える。途中から三越劇場に会場を移し、平成5年まで行われたが、景気の低迷や芸者衆・料亭数の減少により翌年から休演。6年間、神楽坂花柳界主催の舞踊の会は途絶えた。

声を上げたのは若手の芸者衆だった。「どんなところでもいいから人前で踊る機会を作ってください」と訴え、芸者衆の間で舞踊の会開催の機運が盛り上がってきた。会場探しも自分たちで行い、地元・毘沙門天善国寺の小さな場所を確保。ポスター貼りにも歩いた。こうして平成11年に実現したのが「華の会」。……「私たち一人ひとりが華なんだよ」との意味でつけられた名だった。

「華の会」は毎年開催され、4回目から会場を牛込箪笥区民ホールに移す。その後、東京神楽坂組合の主催となり、後援諸団体も増え、平成19年には名称をかつての「神楽坂をどり」に戻したのだった。以来毎年行われ、今年(平成27年)は通算33回目を迎えた。

「華の会」を強く望んだ当時の若手も、「花みずか会」では先輩として若手を応援する側に回る。会場には、ご贔屓のお客さんを案内するベテラン芸者衆や料亭の主人・女将さんの姿が大勢見られ、ご贔屓客も含めた神楽坂花柳界全体で若手を育てようとしている様子が感じられた。

来年の「神楽坂をどり」休演が決まったことは残念だが、若手芸者衆の意欲と、それを応援する先輩芸者衆・料亭の存在を思うと、再開が楽しみになってくる。若手がグンと力をつけているに違いないからである。神楽坂花柳界の底力を感じた会だった。

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