<石川・金沢>もうすぐ「金沢おどり」⑤。芸妓・峯子さんを想う――「一調一舞」へつなぐ

第12回金沢おどり 2015年9月19日(金)~22日(火)

「今年で最後や」と言い続けた大切な芸

北陸新幹線開業を予告する垂幕(2013年9月)
北陸新幹線開業を予告する垂幕(2013年9月)

●金沢に新幹線が通るまで……

私の知る限りではここ5年ほど、峯子さんは毎年「金沢おどり」に出るのは今年で最後や、と言い続けていた。一度「一調一管」を目の当りにするとその大変さがよくわかる。終わったあとそのまま倒れこんで起き上がれなくなってしまうのではないかと思うほどの全力投球だ。「80過ぎると力もなくなる。人と比べられたら腹が立つ。昔は上手だったのにと言われたら嫌なもんやぞ」。そう言いながら、出ると決めた以上、必ず大きな感動を与えてくれる。だからまた来年も……と周囲が引退を許さないのだ。「もう出ません」と断っても「駄目です、出なくちゃ駄目です」「笛を吹けないというなら、舞台に座っているだけでいいです」などと一蹴され、峯子さんは毎年「金沢おどり」で「一調一管」を演じ続けた。いつしか「北陸新幹線が通るまで」は峯子さんの周囲で合言葉のようになっていた。

「来年の日程を決める打ち合わせに呼ばれたけど、行かないんや」と言っていたのは2010年の暮だった。理由は「また出たくなるといけないから」。峯子さんにとって「一調一管」は、苦しいことこの上なく、それでいてやりたくて仕方のない、特別大事な芸だったのだろう。

2012年の、やはり暮、「美音」を訪ねると、「今、商工会議所から帰ってきたところや。来年は『一調一管』をやります、出てくれと言うなら出ます、と言ってきた。その代わり一つリクエストしてきたんや……私を宙吊りにしてくださいと。高いところから笛吹いたら面白いやろ!」。大笑いしたあと、「それで最後や」と真顔で言った。

そして2013年7月に会ったときには、「10年前は『金沢おどり』も楽しみやった。来年が早く来い来い、と思った。今は来年のこと、考えられん。みんなに〝とにかく新幹線が出来るまで生きとってくれ〟と言われるがや」と、中身とは裏腹の元気な声で笑い飛ばしていた峯子さん。翌2014年、病床から奇跡的に復活して舞台に上がった半年後、まさか新幹線開業のその日に逝ってしまうと誰が想像しただろう。葬儀の日、棺に横たわる峯子さんの胸の上には3月14日開業当日の北陸新幹線・金沢―東京間のチケットが置かれていた。

●峯子さんがつないだ新しい芸「一調一舞」

金沢をどり提灯峯子さんは、「親子笛」「姉妹笛」など他にもいくつかの新しい演奏形式を生み出していたが、その中に「一舞一管」というものがある。笛の峯子さんと舞踊の八重治=やえはるさん(にし茶屋街芸妓・お茶屋「浅の家」女将)の二人で作り上げる舞台だ。「一調一管」の相手・乃莉さんを「あの子にしか吹けん」と一目置いていたように、八重治さんのことも「あの子にしか踊れん」と高く評価していた。

今年、笛の乃莉さんと舞踊の八重治さんによる「一調一舞」が始めて「金沢おどり」に登場することになった。峯子さんが、共に唯一無二の相手と見込んだ、唯一無二の組み合わせである。きっと、峯子さんは「今年は出なくていいから本当に楽や―」と言って笑いながら、そして少し寂しそうに舞台を見守っているに違いない。

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