<東京・八王子> 芸者衆総出演の「杵藤会」開催(5/30)と、「八王子の躍進」

八王子芸者衆の長唄と踊り。日頃のお稽古の成果を大舞台で。(入場無料)

杵藤会 チラシ・日時/5月30日(土) 12時ころ~(時間変更の可能性あり)。場所/いちょうホール(八王子市芸術文化会館)大ホール。☎042・621・3001。*入場無料

5月30日(土)、八王子花街の芸能指導にあたっている藤間清幸寿・杵屋栄富左次師匠の舞踊と長唄の会が開催されます。八王子芸者衆も三味線や踊りで総出演します。

下ざらいにお出かけ前の、八王子芸妓組合組合長で芸者のめぐみさん(置屋「ゆきの恵」主人)から下記のコメントをいただきました。

杵藤会 プロ「今年の杵藤会は5年ぶりの大きな会で、長唄、清元、お囃子ともに一流の先生方をお呼びしており、本格的な豪華な演奏をお楽しみいただけるかと存じます。私たち芸者衆にとりましても、日頃のお稽古の成果を観ていただける大きな舞台です。緊張でいっぱいですが、みな一生懸命お稽古をしておりますので、もしお時間のご都合がつきましたら是非おいでくださいませ」

実は……私(浅原)が、〝勢い〟という点で、全国でも注目している花柳界の一つが八王子なのです。なぜか……。以下、簡単に八王子花柳界についてご説明いたしましょう。

●織物で栄えた、多摩地区に唯一残る花街・八王子

いわゆる「東京六花街」は新橋・赤坂・芳町・神楽坂・浅草・向島を指しますが、東京にはこれ以外にも大塚、八王子といった花柳界があり、品川(大井海岸)、円山町(渋谷)にも芸者衆がいます。

八王子市内の中町(なかちょう)を中心とする八王子花柳界には、現在、置屋が7軒あり、若い年代を中心に合わせて17名の芸者衆が在籍しています。

八王子三業組合(花柳界の組合)が結成されたのは明治40年。織物業の好景気とともに機屋の商談・接待の場として栄え、大正時代には芸者215名を数えました。戦後は「ガチャ万時代」(ガチャンと一回機を織ると、万と儲かる)の波に乗り、昭和40年ころまで賑わい続けました。

●15年間で奇跡の復活

しかし織物業の衰退とともに花柳界も徐々に活気を失い、平成10年ころには芸者衆の高齢化と減少が進み、前途は風前の灯……。そのとき、「なんとしても八王子花柳界の灯を消したくない」という非常に強い意志を持つ二つの〝波〟が、ほぼ同時に発生したのです。

一つは、戦前からのご贔屓客の音頭と地元商工会議所の協力で実現した応援団「八王子黒塀に親しむ会」の発足。そしてもう一つが、当時唯一の若手芸者だっためぐみさんの一念発起。町内会の掲示板に「芸妓募集」のポスターを貼り出したり、ミニコミ誌に募集記事を載せるところから始め、少しずつ仲間を増やしていきました。平成13年には、実に八王子で20数年ぶりとなる新しい置屋「ゆきの恵」を開業しました。

その後も、芸者衆と「親しむ会」は二人三脚で八王子花柳界の復活に東奔西走。若い芸者衆も徐々に増え、八王子まつりの山車や手古舞、節分のお化け(仮装)など途絶えていた行事の復活、中町の石畳の整備、海外公演、オペラ『蝶々夫人』の舞台出演など、右肩上がりに勢いを増してきたのです。

〝波〟は八王子全体を巻きこんで大きなうねりとなり、そしてついに昨年(平成14年)3月、念願の八王子芸者衆の舞踊公演「第一回八王子をどり」開催にこぎつけたのでした。

●八王子芸者衆を追って

私は約10年間に渡り、めぐみさんを中心とする八王子芸者衆と、彼女らを支える地元の人々を取材しつづけてきました。可能な限りさまざまな行事に顔を出し(平成20年には、5人の芸者衆が訪問したオーストラリア・カウラでの桜まつりと戦没者合同慰霊祭にも同行)、加速度をつけて坂を上っていく八王子花柳界を間近で体験してきました。

最近、テレビや雑誌でも頻繁に取り上げられるようになりましたが、全国的には八王子の知名度はまだ十分とはいえません。このHPでも八王子花柳界の復活ストーリーを、これからの時代に即した花柳界のありかたを探る一つのモデルケースとして、今後紹介していきたいと思っています。

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